ジャンル: CLUBアーティスト情報

GLIMPSE
2008.09.10

グリンプスのアルバム『Runner』は、ハウスやテクノにジャズやソウルの要素を織り込んだ、斬新で魅惑的な音楽で形成された傑作に仕上がった。DJ MagやMixmagでは既に取り上げられている『Runner』は、確実に年間ベストに入ることだろう。

あらゆるジャンルを探究し、知り尽くした上で、真似できない独自のサウンドに作り変えるグリンプスは、真の革新者であると共に、DJやプロデューサーの間でも高い評価を得ている。典型的なジャンル間のラインを敢えて濁し、絶えず音の再構築を試みる彼の姿勢は、どんなに頭の固いリスナーをも唸らせる。彼の初となるスタジオ・デビュー・アルバムは、ハウス・ミュージックに多大な影響を及ぼし、その基礎となった多くの音楽のエッセンスを捉えた、マジカルな作品に仕上がっている。

2000年以来、多くの作品を発表してきたグリンプスだが、その10年間を締めくくるのがこの『Runner』だ。ジャズの実験的な、そして即興性を感じさせながら、絶え間なくスパイラルするループと流動的なインストラメンタル・ソロが印象的な「Feel OK」と「I Know I Show It」。エスニックなヴォーカルでワールド・ミュージックの純粋さと戯れる「Alone Again」、そしてマリンバが力強いオープニング・トラック、「Walk Tall」。

シングルとしてリリースされた「If I Was Your Girl」のアルバム・ヴァージョンは豪華なヴォーカル・ハーモニーを伴い、その後に続くエネルギッシュな「Things To Do In Denver」は、共に荒っぽく、アーバンなエッジが効いた楽曲でありながら、絶妙なバランスを作り出している。また、常にアンダーグラウンドであり続ける『Runner』の終盤を飾るのはダブ・エレクトロニカ・トラックの「Enjoyable Employable」、火花を散るような「Thank You」、そしてファイナル・カーテン・コールは神秘的な領域を行く「Train In Austria」だ。

”僕は古い録音の、あの煙がかったローファイな美学にいつも惹かれてた。このアルバムではそういう雰囲気を捉えたかったんだ、暖かくて、リズミカルで、それでいて耳障りだったり押し付けがましくなく、願わくば何度も聴きたくなるような作品を”とグリンプスは今回のアルバムを振り返って説明する――”アーティストとして、できる限り正直であること、僕が影響を受けた様々な音楽、そして僕の音楽の感じ方、というのをこのアルバムで描写したかった。それに、思考と表現の狭間にある溝を、出来る限り縮めることを目指したんだ”。燃えるような魂を込めて、『Runner』はハウス・ミュージックの本質をも塗り変える。

去年一年だけでもカール・クレイグのPlanet E、Cadenza、Kindisch、それにBuzzin Flyからレコードをリリースしたクリストファー・スペロ(別名グリンプス)は、ここ数年間、アンダーグラウンド・ダンス・シーンで静かに沸騰し続けてきた。昔ながらのレコーディング手法を好む彼は、アナログ機材しか使わず、トラックは全て生で録音している。後に編集はするものの、こういった手の込んだレコーディングが、彼の音楽に即興性を与えている。”スタジオでの制作プロセスは、最終的に出来上がる作品に多大な影響を与えていると思う。アルバム制作を始めた頃は、またサンプリングで色々試したりしていた時期で、最終的には昔ながらのサンプリング手法を使うことにしたんだ、不完全なところも敢えて残してね”。

グリンプスの音楽は、彼が昔から熱中していたブルースやジャズに大きく影響されている。それは、彼の音楽に内在する普遍的な、ソウルフルな魂という形で現れている。ロンドン、ベルリン、ロンドン、という引越しの最中で生まれた『Runner』は、彼の新たな家族の誕生を印付けるものでもあった。”アルバムで聴こえる背景の音の多くは、ツアー中や、ベルリンや、今住んでいるラッドブローク・グローブで行ったフィールド・レコーディングなんだ。僕には、そうやって今いる環境や状況というものを、曲に反映させることが、とても重要になったんだ。『Runner』では、僕をインスパイアした音楽や状況といったものを、感じ取るように聴いて欲しいんだ――それが電車の旅だろうが、ローファイ・エレクトロニカだろうが、ジャズ、ポップ、ダブ、テクノ、或いは一杯のモルト・ウィスキーだろうがね”。

クリストファーは2000年まで、ロンドン芸術大学 (セントラル・セントマーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン)で彫刻を学んだが、常に心には音楽があり、その後音楽活動に専念するようになる。その技術を磨きながら、様々なエイリアスを名乗り(Attic、 Olek、Spero)、また自分の作品のみをリリースする名目で、Glimpse Recordingsを立ち上げた。早くから日本では彼の念入りな音作りが注目され、支持を得てきたが、ここ数年ヨーロッパやアメリカもそれに続いている。『Runner』は世界がグリンプスに注目のまなざしを向ける、触媒となることは間違いない。

read more

Luke Solomon
2008.09.10

イギリス出身。

シカゴ・ハウス第二期となる’96年頃に[Prescription][Guidance]から発表、シェ・ダミエの紹介でデリック・カーターと出会い意気投合、2人で[Classic]設立、ここからブレイズ、メトロ・エリア、イゾレーなどを送り出す。

またジャスティンとの[Music For Freaks]からはFreaks名義のアルバムを計3枚発表、2007年は03年に発表した“The Creeps”がニュー・リミックスを携えポップ・チャートを賑わす!

DJとしても<Classic Party>@The Endをはじめに世界各地でプレイ、こと米西海岸では以前から人気で、ドック・マーティンらと仲がいい。

ルークは’90年、相棒のジャスティン・ハリスと出会ったミドルセクス大・学生会館での金曜夜のパーティでレジデンスDJとして練習を重ね、プロDJとしてのキャリアをスタートさせた。

この時期、彼は魚屋のバイトとともに地元・バーネットのレコードショップで働き始め、ハウスとソウルのレコードを売っていた。

ルークのその後のキャリアは、ロバート・オウエンズ、フェリックス・ザ・ハウスキャット、ジェイミー・プリンシプル、マスターズ・アット・ワーク等を出した[Freetown]に職を得て保証される。

これをきっかけに、ルークはレコーディング・キャリア、ラジオ生番組を、この後長きにわたる関係となったロブ・メロ、ケニー・ホークスとそれぞれ始めることとなった。

ロブはルークをスタジオに迎え入れ、(レコーディングの)手ほどきをした。

彼らは[Freetown][Prescription Underground]用のプロダクションを制作、ルークがデリック・L・カーターに出会ったのは、[Prescription]のオーナーのシェ・ダミエを通してだった。ふたりは(クラブのやっている)深い時間やヤバいパーティに感じていた魅力のおかげで、たちまち意気投合した。

ここからDJスニーク、イゾレー、ティーフシュワルツ、グリーンズキーパーズといったアーティストが所属する、DJのレーベル、[Classic]が発足されたのだ。

この間、ルークとジャスティンは自身のプロダクション・チーム、Freaksとしての活動を深めていき(発展させていった)、ふたり自ら主宰する[Music For Freaks]のためにFreaksとしてレコーディングを行い、『The Man Who Lived Underground』(’03)を含む3枚のスタジオ・アルバムを完成させた。こうした道のりが現在へと至る。

ルークはレコードレーベル・ビジネスから一歩離れ、制作に集中することを決断。Freaksの最新作『Psych』では、ドイツの[Ladomat]と契約を結んだ。

彼等は5人編成でツアーを行い、スイスやオランダなどその他多くの国々で新たなファンを獲得。ルークは自身の作品のリ・エディットと制作で多忙で、レイディオ・スレイヴ、ヘンリク・シュワルツらと作業をしている。

現在[Crosstown Rebels][Gallery][Icon][Rekids]などとシングル契約を結んでおり、最近では[Cajual][Relief]の世界観に招かれ、“Monsters”と題された[Cajual]からのファースト・シングルを作り終えたところである。

read more

CHLOE
2008.09.10

フランスのミニマル・エレクトロ・シーンで唯一無二の個性を放つ女性DJのクロエは、元ブラックストロボのイヴァン・スマッグと共にフランスでも指折りのカッティンエッジなパーティとして知られる<KILL THE DJ>を主宰、その多彩なレパートリーと深い音楽的洞察で00年代初頭から一部のファンのあいだで話題を呼んでいた注目の逸材。

KILL THE DJのほかにも<Bpitch><Karat>や<Crack & Speed>といった先鋭レーベルからシングルを発表する傍ら、Booka ShadeやKrikor、Simon Saysなどの楽曲をリミックス、主にミニマル畑で活動を展開、プロダクション、リミックスの数は決して多くないが、いずれも高いクオリティを有するものばかり、ファンのあいだではオリジナル作品の発表が待ち望まれていた。

2004年にパリのレーベル<HUMAN>からミックスCD『I HATE DANCING』を発表、イヴァンの『How To Kill The Dj』にも比肩する独特のダークゴシックな世界を演出、賞賛を浴びる。2006年にはイヴァンとのダブルネームによるミックスCD『The Dysfunctional Family』をリリース。アルバムへの機運は高まるばかり。

そして2007年、ようやくフル・アルバムが完成!

read more

TOBY TOBIAS
2008.09.10

80年代後半~90年代初頭のイギリスRAVEカルチャーに影響を受け、ティーンエージャーの頃からシンプルなローランドのサンプラーで楽曲制作を始める。

アートカレッジでの初DJ体験を機にディープな選曲が受け、UK各地からDJオファーが来るようになり、自らもイベントのオーガナイズを始めるようになった。2000年にスタジオパートナーCraig ‘Alexis Forge ‘ Macculoughと出会い、その作品がLow PressingsやChiken Lipsのスティーヴ・“フェラ”コーティのレーベルBearfunkからリリース。

それ以降はOdori, Hi-phen, Tiny Sticks,など様々なレーベルからディープで良質な作品を発表していたがRadio SlaveのレーベルREKIDSからのヒット「A Close Shave」「The Feeling」以降はリミックスが殺到。

Beat Freeze, Bent, Bloop recordings, Dialectといったレーベルでリミックスを連発、Prins ThomasやThe Glimmers、Francois KからRicardo Villalobos,Tiefschwarzなど幅広いアーティストからサポートされている。

2008年、ついにファーストアルバム『Space Shuffle』をREKIDSからリリース、日本盤も発売され話題に。

そしてサトシトミイエ久しぶりの作品MES 「Madrugada」(SAW.RECORDINGS)をリミックス。

DJとしての活動もDanny Clarkと共に毎月“latenightaudio“というパーティを主催し自らもプレイしている他、旬なゲストDJを招き人気を博している。

read more

Solo Moderna
2008.09.10

read more

ELECTRO DELUXE
2008.09.10

◆2001年の11月、グルノーブル育ちのガエル・カドォとトーマス・フォーレはパリに移り、お互いが関心を持っていたジャズとファンクを融合させた新たなミュージック・プロジェクトを試みた。この実験にジェレミー・コークとアルノー・ルナヴィルが加わり、エレクトロ・デラックスが誕生した。

◆1年後、トーマス・フォーレの発案のもと、彼等の音楽にエレクトロ・サウンドを導入する。その後フランスで数々のステージを経て、彼等の音楽性はますます洗練され、豊かになっていった。

◆2002年の秋、レコード・レーベルSuch Productionと出会う。2004年にスタジオ入りし、デビュー・アルバム『Stardown』のための10曲をレコーディングした。制作には13人のミュージシャンが参加、その顔ぶれの多彩さは多種多様な音楽から影響を受けたバンドのサウンドを反映するものだった。そして、どのような形であれそこには一貫したグルーヴ感があった。

◆1年のツアーを終えた後、バンドは再びスタジオへ入り、セカンド・アルバム『Hopeful』の制作に取り掛かった。それはフランスや海外のライヴ活動で経験を重ねたバンドの、成長した姿をそのまま映し出す出来栄えとなった。

read more

The Houdini’s
2008.09.10

ザ・ジャズインヴェーダーズのメンバーでもあるロルフ・デルフォス(as)とアーウィン・ハーウィグ(p)率いるオランダの伝説的ハードバップ・コンボ。
トランペット、トロンボーン、アルト・サックスのフロント陣とリズム・セクションというセクステット編成。過去のアルバムではかのルディー・ヴァン・ゲルダーの元でレコーディングを行うなど、まさに1960年前後のBlue Note的なハードバップを真摯に追求するオランダを代表するプロ・ジャズ・ミュージシャン集団。

read more

V.A.(Mixed by NICK HOLDER)
2008.09.10

ムーディーマンが[KDJ]、セオ・パリッシュが[Sound Signature]を興し、デトロイトからラディカルかつアナーキーなシングルを量産していた’90年代半ば、湖の向こう岸・トロントでも’90年代前半から詳細不明のヤバいシングルをシコシコ出していた男がいた。それがニック・ホルダー。前述の巨頭ふたりが“テクノ”のホームグラウンド発、というアドヴァンテージも手伝い、日本では「デトロイト第二世代」として熱烈サポートされるが、そうしたバックグラウンドのない彼は、欧州経由でのバズを待つこととなった。

’90年代半ばからの開業にもかかわらず「キテる」DJに次々とアプローチをかけ、やがて一大レーベルとなる[Studio K7]が彼を見初め、『One Night In The Disco』(’96)、『Still On Track』(’98)と2枚のアルバムをリリース。

英[NRK]はシングル単位で契約、マヌュエル・ゴッチン“E2-E4”ネタ(つまりスエーニョ・ラティーノ“Sueno Latino”と同ネタ)の“Paradise”にソルト・シティ・オーケストラのリミックスをつけてリリース(’97)、まずはディープ・ハウス・シーンで話題に。続いて従来のニックからは思いもよらないサンバ・ネタの“Da Sambafrique”をカット(’98)、ラウンジーなコンピのお供としてこの後次々と使用される。ニックの人気を決定的なものとしたのは、ハウス界全般でラテン/ブラジリアンなテイストが人気を博した時期のリリースというタイミングも手伝い、上記のような著名DJが続々プレイした、パット・メセ二ー・グループ“Slip Away”ネタの“Summer Daze”(’01)。これを機に「夏男」としてクラブ・フリーク間で名が広く流通するも、どっこい本人は多名義を操ることで作風もいろいろ変え、関連レーベルも転がして精力的なリリースをみせている。

read more

SIRIUS B
2008.09.10

06年のニュー・アルバム『カーザ・ド・ソウ』は6月2日発売予定。

read more