ジャンル: CLUBアーティスト情報

TWO BANKS OF FOUR
2008.09.10

元ガリアーノのロブ・ギャラガーと元ヤング・ディサイプルズのエンジニア、ディーマスによるジャズ・ユニット、トゥ・バンクス・オブ・フォー。

●アール・ジンガー/ロブ・ギャラガー(EARL ZINGER/ROBERT GALLAGHER):アシッド・ジャズ・シーンを代表するバンドであり、当時ジャイルス・ピーターソンが主宰していたTalkin’ Loudの看板バンドであったガリアーノの元リーダー。

今も昔もジャイルスの大親友であり、奥方はUKを代表するシンガーの一人であるヴァレリー・エティエンヌ。アール・ジンガー名義でのソロ作品でも知られる。

●ディーマス/ディル・ハリス(DEMUS/DILL HARRIS):アシッド・ジャズ・シーンもう一つの立役者であったヤング・ディサイプルズにエンジニアとして参加したほか、リミキサー、プロデューサーとしてアシッド・ジャズ・シーンの屋台骨を支えた。

2001年にはナンバーズ名義でソロ・デビューも果たす。

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TEENAGE BAD GIRL
2008.09.10

Guillaume Manbell & Greg Kazubskiのふたりからなるフランス人デュオ、ティーンエイジ・バッド・ガール。

2006年の初頭に自主発売したデビュー・シングル「Hnads of a Stranger」がMyloやErol Alkan、DJ HellなどヨーロッパのトップDJたちによりスピンされ、Para OneやJustice等と並ぶフランス発の新世代アクト注目株として一躍脚光を浴びる。同年シザー・シスターズ「ときめきダンシン」のリミキサーにも抜擢され、その才能をUKのダンス・シーンにもアピールすると、間髪置かずにVitalicの主宰するレーベル<Citizen>と契約、本格的にアーティスト活動を開始、2007年の春に同レーベルからの初EP『Coccotte EP』を発表。

激しくディストーションさせたロッキンなエレクトロ・トラックは「ダフト・パンク&エイフェックス・ミーツ・ストゥージズ」などと評されヨーロッパの主要メディアを席巻、再び多くのDJたちのフェイヴァリットとなる。

待望のデビュー・アルバム『ココット』は2007年7月20日に日本上陸。

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KNEE DEEP
2008.09.10

ドイツ出身のセバスチャン&トディのコンピ、二―・ディープ。 ふたりはかつて、<スピードガラージ>ともリンクしていたジャーマン・メインストリーム・ハウス黎明期を支えた[Peppermint Jam]勢のひとりで、ワールドワイド・アンセム“Horny”[‘98]で知られるムース・Tに師事(’04年辺りからエレクトロな作風でスターダムにのし上がったティーフシュワルツも同じく彼に師事していた)。 巷でニー・ディープの名が騒がれるようになったのは、ビギニング・オブ・ジ・エンド“Funky Nassau”、スティーヴィー・ワンダー“Pastime Paradise”“Another Star”など、一連の「オフィシャルじゃ100%ムリ」なブートレグ・リミックス。一方でハウス・ミュージックNo.1レーベル=[Defected]は既にふたりと’01年に契約しシングル“I’ll Be There For You”をリリース、自社タイトルのリミックスを幾つも任せたりと、[Defected]が彼らを世界へと羽ばたかせたといっても過言ではない起用、蜜月ぶりであった。 ’03年からは自身でレーベル[knee deep recordings]を立ち上げ、それまでの猛烈な仕事数からひとつひとつに全力を注ぐ体制にシフト。 それでもふたりは・ベースメント・ジャックス ・ブレイズ ・エヴリシング・バット・ザ・ガール ・フル・インテンション ・ジャミロクワイ ・マスターズ・アット・ワーク ・Monday満ちる ・テイ・トウワ など、錚々たる面々のリミックスを請け負ってきた。 更に、いま日本で乙女中心にバカ売れ中のラスマス・フェイバーとシー・ウィンド・プロジェクトなる名義で共作、“Free”を発表している。 ’06年・WMC経由大ヒットのティミー・ヴェガス(ソウル・セントラル)“Cabbage Juice”、欧州でトップランクのプロデュース・チーム=ハードソウルの最新ヒット“My Life”、Muroもプレイするクロスオーヴァー・ハウス・クラシック、ニック・ホルダー“Summer Daze”など、リゾートでアゲアゲなラテン気質+乙女心を釘付けにするおセンチなメロで魅了!

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THE JAZZINVADERS
2008.09.10

オランダ版ファイヴ・コーナーズ・クインテットとして欧州ニュー・ジャズ・シーンを席巻、ここ日本でも『Up & Out』『Blow!』の2枚のアルバムが大ヒットしたザ・ジャズインヴェーダーズ。2年半ぶりの新作はサウンドを大きく方向転換したターニングポイント的アルバムとなった。70年代の初期のプレ・フュージョン期におけるクルセイダーズやCTI的サウンドをベースにAOR/スムースジャズ的な洗練やアシッド・ジャズ的なソウル/R&Bとの近接を感じさせるそのサウンドは、ニュー・ジャズに飽きたクラブ・ジャズ・リスナー層からAOR的で都会的なジャズを求めるオトナ層、そしてインコグニート的なスムース・ジャズ・ファンク・ファンまで虜にするに違いない!

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MALENA PEREZ
2008.09.10

アトランタ生まれで、キューバ人の父とドイツ人の母の間に生まれたマレーナ・ペレズは、ピアニストの母の影響からか小さい頃からクワイヤで歌っていた一方、父が彼女の幼少期にラテン専門ラジオ局をよく聴いていたことから、彼女もオマーラ・ポルトゥオンド(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)やセリア・クルーズが好きだった。

同じアトランタ拠点で活動、ジュリー・デクスターらのプロデュースをするマイケル・ジョンソンにデモを送ったところから音楽業界とのつながりが始まり、彼のプロデュース/ケミティックジャストのリミックスで’04年に(当アルバムにも収録の)“Free To Fly”でデビュー。直後にセルフ・レーベル[Cubanita Groove]を設立。

翌年アトランタを離れ、LAでアルバム制作にとりかかり、自らケニー“ドープ”ゴンザレス、オシュンラデ、カルロス・ニーニョ(ビルド・アン・アーク、アモン・コンタクト)、アリックス・アルヴァレズ[Sole Channel]にトラックを依頼し、アルバムを完成!

先行12インチ・カットされた“Chase The Butterflies”(ケニー・ドープ・リミックス)と“Praise The Day”(オシュンラデ・ダブ・ミックス)はいち早くハウス・ファンの間で話題を呼んでいる。

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PAUL MAC INNES & T.B.O.I.
2008.09.10

ニック・ウェストンの[Mukatsuku]からリリースされた300枚限定プレスの7インチで話題となったポール・マック・イネス&TBOIは、エアプレイ、ないしは世界の著名DJや音楽誌からの注目を得た。

ポールは幼い頃からソウル・ミュージック、ヒップホップ、ゴスペルに深く豊かな愛情を抱いていた。ポールの情熱的なヴォーカル・スタイルはそれらの融合とわかるだろう。ビヨーン・アルムグレンaka T.B.O.I.(ザ・ブラザー・オブ・インヴェイジョン)はスウェーデンでは有名なジャズ・サキソフォニストだ。彼は長年にわたり広い音楽ジャンルと接点を持ち、スウェーデンやヨーロッパの様々なところにツアーで廻った。ビヨーンはまた有能なドラマーとして、レゲエ、ソウル、R&B、ヒップホップのすべてから探り出して多くのセットをこなしてきた。生ヒップホップ・アーティストのバックで共に演奏したとき、共通した音楽への愛を発見し、最終的には二人の間のクリエイティヴなコラボレイションに発展した。その結果ジャズ、ヒップホップ、R&Bから影響を受けた極めてソウルフルなサウンドとなっている。

ポールは過去、ゴスペル界の伝説的なアーティストであるアンドレ・クラウチ、エルネスト、スウェル・セッションズ、ユキミ・ナガノといったアーティストの作品にゲストとして、また『Soul Togetherness』[Expansion]に楽曲が収録されたりという形でフィーチュアされてきた。スウェル・セッションズ[Freerange]の新作などが最も最近のゲスト参加である。

T.B.O.I.はジョージィ・フェイム、ブラック・モーゼス、ハカン・ヘルストロム、ナザリーンズ、ADL、ユキミ・ナガノなど多くのスウェーデン人アーティストと共演している。

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RAY BARBEE
2008.09.10

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Apparat
2008.09.10

アパラットは自由自在だ。その音楽的な地平は様々な要素を含み、どこまでも広がる。

その感情的な切れ端は幸福を想像させ、その音の波はあなたの涙腺を刺激する。

彼のライヴ・パフォーマンスは“キッキング・アス!”で知られているが、レコードやスタジオで聴ける彼の室内楽のクオリティーは、繊細に行き届いたオーケストレーションだ。彼はジョン・ピール・セッションを誇りに思い、ジャンナ・ナニーニとロック・オペラの仕事を散発的に行っている。

サーシャ・リン aka アパラットは、東ドイツ地方のへき地から1997年にベルリンにやってきた。それまでの人生で最良の決断だった。

1999年からT・ ラウムシュミールと共にベルリンを拠点に活動するレコード・レーベル“シットカタパルト(Shitkatapult)”―世界中のターンテーブル上のワイルドなミクスチャーを投げつける冒険的な音楽の投石器―をスタートさせる。アパラットは、マンチェスターのメランコリック・グリッチとUSのラップトップとのドイツのギャップに橋をかける。彼のスマートな感情の描き方は、ジャンルを超越し“アパラット・サウンド”としかいいようがない、非現実的な音楽の現実性をつくりだす。

彼のスタジオの中では、哀歌的ポップネスとヘヴィーなエレクトロニクスによって構築された理論整然としてエモーショナルな、濃密で、ダークで、壮大な雲があたりを包んでいる。

一方ライヴでは、ダンス・フロアの中はバミューダ・トライアングルのレイヴをテクノ、IDM、エレクトロの斧で切って捨てているかのようだ。このライヴでのスタイルは、レコーディング・ワークの中での彼とは必ずしもイメージが合致しないだろう。

しかし、彼がエレクトロニック・ミュージックへの鍛錬を始めた19歳の頃から、彼への最も大きい音楽的な影響はずっとテクノとエレクトロであるのだ。

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DJ MEHDI
2008.09.10

古くはフレンチ・ラップの最古参、MCソラーにもビートを提供していたというヴェテランで、Ed Bangerオーナーのペドロ・ウィンターとは10年来の親友でもあるDJメディは、カシアスと並んでフランスのクラブ・シーンで唯一エレクトロ、ディスコとヒップホップを自由に行き交うユニークな才覚を持ち、アンダーグラウンドで絶大な信頼を誇る飛び切りホットなプロデューサー!

ダフト直系ミラーボール炸裂の華やかなディスコ・フレイヴァとバウンシーな極太B-BOY BEATがミックスされた最高水準のダンス・ミュージックをいともたやすく創り上げる天才メディ!

このセンス、ぶっち切りっ!!!

・Biography

パリに生まれ育ち現在もパリを拠点に活動するDJ Mehdiは、1995年以来多くのフランスのヒップホップ・アーティストたちをプロデュースしてきた。Ideal Jや113を筆頭に、MCソラーやダフトパンク、KOURTRAJME、IAM’s AKHENATON、BOOBA、ROHFFやCASSIUS、ASIAN DUB FOUNDATION、K-OS、GROUP HOME、FUTURA2000、さらには坂本龍一氏やキャロル・キングなどなど、リミックスやコラボ等を含めれば枚挙に暇がない。

2002年にVirginからアルバム’The Story of ESPION’をドロップし、自身名義で本格的にアルバム・デビュー、ペドロ・ウィンターによるEd Banger立ち上げと共に合流し、以来フランスの最もカッティンエッジでエキサイティングなエレクトロ・シーンの一翼を担う重要アーティストとして、活動してきた。

2006年春に発表された本アルバムに先駆けてのシングル『I Am Somebody』ではTurbo等からのリリースで知られるカナダのエレクトロ・ギャングスタ・ヴォーカリスト、CHROMEOをフィーチャー、リミックスにケニー・ドープ(of MASTERS AT WORK)を配し、世界中のDJたちからサポートされた。

アルバムにはCHROMEOのほかにEd Bangerの同志でUffieとも親交の深いFeadzやFafi、Xanaxが参加、ジャケットのアートワークはこれまでのEd Bangerの12”リリースを手掛けてきたSO MEが担当している。

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BJORN TORSKE
2008.09.10

ビョーン・トシュケはノルウェイのエレクトロニック・ミュージックの首都、Tromso出身(トロムソ:はほぼ北緯70度に位置する北極圏最大の町)。 この街はロイクソップやMental Overdrive、Biosphereなどを送り出しています。Geir Jenssenを通じて、TorskeはベルギーのSSR/Crammed Discsとのコンタクトを持つようになりました。そして1991年、Crammedから二枚の12”シングルをカットしました。 その後オランダのDjax-Up-Beatsレーベルがトシュケをフックアップし、そこで数枚のシングルを発表しました。また、4ヒーローのディーゴとマークのレーベルとして知られるReinforced Recordsにも、トラックを残しています。 それからトシュケはノルウェイのベルゲンに移り住み、Biosphereのライヴでキーボードを演奏するようになりました。 またこの頃Geir Jenssenと共にツアーをまわります。Djax-Up-Beatsから1995年にアルバムを発表、その後の数年間は一枚のシングルをPer Martinsen’のLove ODレーベルに残すのみで、しばらくはDJに専念する事になりました。 その制作の沈黙期間が、彼のキャリアに少なからぬインパクトを残します。アムステルダムでは≪Fleet≫がクラブ・ヒットになり、DimitriやDerrick Mayのお気に入りとして度々スピンされました。そうしてFeroxのボスであるRuss Gabrielに、彼のサウンドが渡ります。 Russは即座にトシュケに電話を入れ、ディールを結び、アルバム≪Nedi Myra≫の誕生となりました。 ノルウェイでは彼の仲間であるロイクソップやSvein Berge、Torbjorn Brundtlandもベルゲンへやってきて、新しいアクトやクラブ、レーベルがこの町に生まれ、音楽シーンが活況を呈しました。 その間再びビョーンはシングルの制作を開始、素晴らしい楽曲をSVEKに残しています。 98年に友人のMikal Telleがあの<Telle Records>を立ち上げると、彼もそこに招かれ、このレーベルの一員となりました。そこでは≪Disco Members≫を2000年に発表しました。また、SVEKにも≪Aerosoles≫という素晴らしい作品を残しています。その後再びTelleで「Trobbel」というアルバムを発表。 また、友人のロイクソップの楽曲 “Eple”をリミックス、これがインターナショナル・ヒットとなって、その後ロイクソップの名は世界的に知れ渡るようになりました。2002年にはロイクソップと共にヨーロッパをツアーしました。

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