BJORN TORSKE ビョーン・トシュケ
ビョーン・トシュケはノルウェイのエレクトロニック・ミュージックの首都、Tromso出身(トロムソ:はほぼ北緯70度に位置する北極圏最大の町)。 この街はロイクソップやMental Overdrive、Biosphereなどを送り出しています。Geir Jenssenを通じて、TorskeはベルギーのSSR/Crammed Discsとのコンタクトを持つようになりました。そして1991年、Crammedから二枚の12”シングルをカットしました。 その後オランダのDjax-Up-Beatsレーベルがトシュケをフックアップし、そこで数枚のシングルを発表しました。また、4ヒーローのディーゴとマークのレーベルとして知られるReinforced Recordsにも、トラックを残しています。 それからトシュケはノルウェイのベルゲンに移り住み、Biosphereのライヴでキーボードを演奏するようになりました。 またこの頃Geir Jenssenと共にツアーをまわります。Djax-Up-Beatsから1995年にアルバムを発表、その後の数年間は一枚のシングルをPer Martinsen’のLove ODレーベルに残すのみで、しばらくはDJに専念する事になりました。 その制作の沈黙期間が、彼のキャリアに少なからぬインパクトを残します。アムステルダムでは≪Fleet≫がクラブ・ヒットになり、DimitriやDerrick Mayのお気に入りとして度々スピンされました。そうしてFeroxのボスであるRuss Gabrielに、彼のサウンドが渡ります。 Russは即座にトシュケに電話を入れ、ディールを結び、アルバム≪Nedi Myra≫の誕生となりました。 ノルウェイでは彼の仲間であるロイクソップやSvein Berge、Torbjorn Brundtlandもベルゲンへやってきて、新しいアクトやクラブ、レーベルがこの町に生まれ、音楽シーンが活況を呈しました。 その間再びビョーンはシングルの制作を開始、素晴らしい楽曲をSVEKに残しています。 98年に友人のMikal Telleがあの<Telle Records>を立ち上げると、彼もそこに招かれ、このレーベルの一員となりました。そこでは≪Disco Members≫を2000年に発表しました。また、SVEKにも≪Aerosoles≫という素晴らしい作品を残しています。その後再びTelleで「Trobbel」というアルバムを発表。 また、友人のロイクソップの楽曲 “Eple”をリミックス、これがインターナショナル・ヒットとなって、その後ロイクソップの名は世界的に知れ渡るようになりました。2002年にはロイクソップと共にヨーロッパをツアーしました。