ジャンル: BLUESアーティスト情報

BURNSIDE EXPLORATION
2008.09.10

ヒル・カントリー・ブルースの伝統を解体・再構築し、ロックやヒップホップも呑み込んだ現在進行形ノース・ミシシッピ・サウンドをブチかますバーンサイド・エクスプロレイション。

中心となるのはR.L.バーンサイドの十数人いる子供の中の末っ子ギャリー(g)と、孫のセドリック(dr)。

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DAVID KIMBROUGH JR.
2008.09.10

伝説のブルースマン、ジュニア・キンブロウの真の後継者となる息子デイヴィッド・キンブロウ。

6歳から父親の下で音楽を始めるが、10代後半に麻薬に溺れ、ついには強盗を起こしてパーチマン刑務所に収監される。

服役中は刑務所バンドで活動、全国ツアーを行う。7年半後に仮釈放され94年ファット・ポッサムよりデビュー・アルバム『I Got The Dog In Me』をリリースした。

父親のジュークジョイントを中心に順調に活動していたが、98年の父親の死により人生が狂い始め、事件を起こして再びパーチマン刑務所に収監されてしまう。

2005年2月の仮釈放後、『シェル・ショックト』を新たな出発点として制作。

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CARLOS JOHNSON
2008.09.10

2004年5月。カルロス・ジョンスンはジャパン・ブルース・カーニヴァルのステージに立った。1989年にヴァレリー・ウェリントン(故人)と共に日本に来て以来、実に15年振りの来日であった。既に出演が決まっていたオーティス・ラッシュが脳梗塞に倒れ、彼をサポートするために急遽決まった来日であった。カルロスの名前がコールされ、“I Wonder Why”を弾き始めた瞬間に会場全体が総毛立った。スクィーズするギターの一音一音が心に突き刺さる。オーティス・ラッシュが登場し、その側で全身全霊を込めてギターを弾くカルロス。大きな拍手と歓声に包まれたのは言うまでもない。  その年の3月、Pヴァインが独自に制作を行い、世界のブルース・ファンにアピールする作品を作り出すという「新録ブルース企画」の第一弾として『ドント・メス・ウイズ・ザ・ブルースメン』(PCD-25020) がビリー・ブランチとの共演盤として発売された。長いキャリアにもかかわらず録音数が極端に少ない彼にとって、実質的に初めてのアルバムであった。

来日時の打ち合わせで「ライヴこそが私の魅力を引き出す」という彼の言葉を受け、ライヴ盤制作のプロジェクトがスタートした。  このレコーディングの為に特別に編成された<シリアス・ブルース・バンド>のメンバーは…  シカゴ・サウスサイドの生まれのカルロスは、クラシックとジャズが好きな父と、カントリーとブルースが好きな母に育てられた。ギターは独学で始め、60年代はロック・バンドで演奏していたが、70年代に入ってからブルース・シーンで活動するようになった。そのエモーション溢れるプレイは多くのミュージシャン、ブルース・ファンを魅了している。アルバムは前述したアルゼンチン盤とPヴァイン盤の他に、2004年に日本のミスター・ケリーズから発売された『イン・アンド・アウト』がある。  サム・グリーンはカルロスのバンドのレギュラー・メンバーであり、長年に渡って彼を支えてきた屋台骨である。  キーボードのデイヴ・ライスは16歳からプロとして活動を開始し、サウス・イリノイ大学で音楽理論を学んだ。10年以上に渡るオーティス・ラッシュとの活動の他にルーサー・アリソンやバディ・ガイ、そしてロバート・プラントやジミー・ペイジなどとも共演経験がある。現在は音楽教師をしながら自らのビッグ・バンドなどで活躍中。2006年の完全オフ日は僅かに4日しかないという超売れっ子でもある。今回のレコーディングに際しては、アレンジや音楽監督を務め、影の功績者といえるであろう。  ドラムのジェイムズ・ノウルズは、カルロスと同じシカゴ・サウスサイドの出身で、やはり10代の頃からミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせている。これまでにシュガー・ブルー、メルヴィン・テイラー、アル・グリーン、タイロン・ディヴィスからR. ケリー(!)まで、幅広い活躍で知られる敏腕プレイヤーである。 (テキスト:高橋 浩 / a.k.a. 江戸川スリム)

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DUWAYNE BURNSIDE AND THE MISSISSIPPI MAFIA
2008.09.10

伝説の北ミシシッピ・ブルースマン、R.L.バーンサイドの子供達の中で、実力・才能とともにトップを行くのがこのドゥエイン・バーンサイドだ。

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ROBERT JR. LOCKWOOD
2008.09.09

 ロバート・ロックウッドが逝ってしまった。

享年91、というよりも92歳に近かった。

脳溢血で倒れ、その直後の11月21日に併発した肺炎のため、長年のホームタウンであったオハイオ州クリーヴランドにて死去。

男の年齢としてみれば、大往生である。が、今も現役真っ只中、もちろん老齢の衰えがあったとしても、しかし90を過ぎてのロックウッドという味わいと境地、それを聞く楽しさ、悦びがあったわけで、いなくなってしまったその喪失感は、とても大きい。

 ロックウッドが亡くなった11月といえば、32年前、あの伝説のステージとなる第一回ブルース・フェスティヴァルが行われた月だ(1974年11月25~30日にかけて行われた)。

そこで見せつけられた、躍動感と創造性あふれるブルースの奥深い世界。あれ以来、ロックウッドは同時代に生きるブルースの神として、殊に日本のファンにはある種特別な存在となった。

その後、「ロバート・ジョンスン」がキーワードとなって、ロックウッドが紹介されることが世界的に多くなっていくわけだが、それよりもずっと前から、日本のファンの愛着は欧米に比べても、非常に深いものがあったと思う。

ちなみに、初来日のきっかけとなった初リーダー・アルバム『ステディ・ローリン・マン』は、LP時代からの累計で日本では一万数千枚がファンの手元に届いているはずだ。

 「ロバート・ジョンスンの義理の息子」、「黄金時代のシカゴ・ブルースを支えた裏方ギター職人」、「B.B.キングと比して語られるべきモダン・ブルース・ギター・スタイル確立者の一人」等々、その形容句を多く持ったが、ぼくが一番好きなのが「ブルースの生神様」だ。これは札幌の熱心なファンによる命名で、これまで本誌でも、またPヴァインでも何度も使ってきた。

ブルース・ギター道とでも言うべき己のスタイルの追求ぶり、ヴォーカルとその作風の洒脱かつ奥深さ、すべてがその哲人的風貌に合致。ついつい拝むかのように聞いている、そんなファンが多いに違いない。僭越ながらファン代表として、あのステージ、そして彼が遺してきたすべての作品、演奏に、いま改めて声援を送り直したい。

 ロックウッドは、2006年1月、孫弟子筋にあたるギタリスト、クリーヴランド・ファッツの録音にも参加している。そのギターの悠々たるロックウッド節は、見事というしかない。最期まで、ブルースを極め続ける偉大なる存在であった。

誰でもいつかは死んでいくわけだが、だからなおさら悲しいものは悲しい。

-高地 明(ブルース&ソウル・レコーズ 第73号より)

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PISTOL PETE
2008.08.28

2003年、シカゴからデビュー・アルバム『エレクトリック・ブルースランド』と、同年パークタワー・ブルース・フェスティバルでの衝撃的なギタープレイで日本の音楽ファンに強烈なインパクトを残し、待望の新作『エヴォルーション・ブルース』でさらなる進化を遂げた21世紀のブルース・ギタリスト、ピストル・ピート。

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JEFF LANG
2008.08.28

ジョン・バトラー・トリオなどに多大なる影響を与え、良質なルーツ音楽を生み出し続けるオーストラリアのシーン自体を支え続ける孤高の天才シンガー・ソングライター。

比類なきスライドの実力、誰もが引き込まれる歌の世界と、斬新で度肝を抜くようなグルーヴとエネルギーを生み出すライブ・パフォーマンスで世界中の観客を魅了している。

「ギターの魔術師」とまで呼ばれるそのテクニックは、ブルース、ジャム、フォーク、オーガニックといったスタイルを遥かに通り越し、体験した人にただ感動を与えるオリジナリティーに満ちている。

キャリアは既に20年近くに及ぶが、2008年には日本デビューを果たす。

二度の来日ツアーに加え、同年の朝霧JAMでの壮絶なステージを見せつけ、2009年には満を持してのフジロック・フェスティヴァル出演を果たし、日本で初めて披露したトリオ編成で更なるヴァラエティーを足したグルーヴと感動を与えてくれた。

2009年11月4日には彼のロック魂を全開に出した新作アルバムがリリース!

新たな境地、新たなグルーヴ、そして新たな超絶プレイの領域に入ったジェフ・ラングを見逃すな!!

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