ジャンル: BLUESアーティスト情報
ELMORE JAMES
2008.09.10
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B.B. KING
2008.09.10
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1925年9月16日Indianola, Mississippi出身
本名ライリー・B・キング。1925年、ミシシッピ州インディアノーラ近くのイッタ・ベナに生まれる。(1943年にインディアノーラに移った。)幼少の頃より農場で働くかたわら教会でゴスペルを歌っていたが、成長するにつれレコードやラジオから流れるTボーン・ウォーカーやロニー・ジョンスンなどを聴いてブルースに親しむようになる。46年大都会メンフィスへ赴き、従兄弟のブルース・ギタリスト、ブッカ・ホワイトのもとで10ヶ月を過ごす。この時ホワイトの手ほどきによりブルース・ギターに開眼、チャンスを求めて48年には本格的にメンフィスに移り住んだ。キングはすぐに黒人ラジオ局WDIAでDJの職を得る。その時の愛称“Beal Street Blues Boy”(ビール・ストリートはメンフィスの目抜き通り)が後に“Blues Boy”に省略され、さらに短くなり“B.B.”となった。
1949年ナッシュヴィルのブレットに初録音を行った後、ロス・アンジェルスに拠点を置くビハリ兄弟のRPM(後のモダン/ケント)と契約を果たす。その頃のメンフィス録音では後にサン・レコードを興すサム・フィリップスがプロデュースをしていた。そして51年「3オクロック・ブルース」が最初のR&Bチャート1位を獲得。モダン/ケントに在籍したこの黄金の10年間でキングは30曲近くチャート・インさせ“ブルースの王様”としての地位を不動のものとする。
1962年ABCパラマウントに移籍。64年発表の『Live At The Regal』など数々の傑作ライヴ・アルバムを発表するなか、70年に「ザ・スリル・イズ・ゴーン」がポップ・チャート15位という最大のヒット、初のグラミー賞も受賞しキングの名はブルース・ファン以外にも広く知られるようになる。ロック、ジャズ、フュージョンなど様々なジャンルのアーティストと共演し、常に新しいことにチャレンジし続けたキングは、70~80年代にかけてもコンスタントにヒットを飛ばしていった。87年には<ロックンロールの殿堂>入りも果たす。90年代に入ってもキングは精力的にツアー活動を続け、93年にジョン・リー・フッカーやバディ・ガイらと共演した『Blues Summit』という傑作アルバムも発表。2000年にはエリック・クラプトンとの双頭アルバム『Riding With The King』を、そして80歳を迎えた05年にはエルトン・ジョン、ロジャー・ダルトリーなど多彩なゲストを擁した『80』を発表している。
糖尿病を患いステージでも椅子に座って弾くことが多くなり、残念ながら06年をもって海外ツアーから引退することを表明したキングだが、愛器「ルシール」とともに未だ現役として活躍し続けている。チョーキングを主体とする独特のスクィーズ・ギターを生み出し、後に続く多くのギタリストに多大な影響を与えたB.B.キング。まさに“ブルースの王様”と呼ぶに相応しい偉大なるブルースマンである。
LOWELL FULSON
2008.09.10
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ROBERT JR. LOCKWOOD
2008.09.09
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ロバート・ロックウッドが逝ってしまった。
享年91、というよりも92歳に近かった。
脳溢血で倒れ、その直後の11月21日に併発した肺炎のため、長年のホームタウンであったオハイオ州クリーヴランドにて死去。
男の年齢としてみれば、大往生である。が、今も現役真っ只中、もちろん老齢の衰えがあったとしても、しかし90を過ぎてのロックウッドという味わいと境地、それを聞く楽しさ、悦びがあったわけで、いなくなってしまったその喪失感は、とても大きい。
ロックウッドが亡くなった11月といえば、32年前、あの伝説のステージとなる第一回ブルース・フェスティヴァルが行われた月だ(1974年11月25~30日にかけて行われた)。
そこで見せつけられた、躍動感と創造性あふれるブルースの奥深い世界。あれ以来、ロックウッドは同時代に生きるブルースの神として、殊に日本のファンにはある種特別な存在となった。
その後、「ロバート・ジョンスン」がキーワードとなって、ロックウッドが紹介されることが世界的に多くなっていくわけだが、それよりもずっと前から、日本のファンの愛着は欧米に比べても、非常に深いものがあったと思う。
ちなみに、初来日のきっかけとなった初リーダー・アルバム『ステディ・ローリン・マン』は、LP時代からの累計で日本では一万数千枚がファンの手元に届いているはずだ。
「ロバート・ジョンスンの義理の息子」、「黄金時代のシカゴ・ブルースを支えた裏方ギター職人」、「B.B.キングと比して語られるべきモダン・ブルース・ギター・スタイル確立者の一人」等々、その形容句を多く持ったが、ぼくが一番好きなのが「ブルースの生神様」だ。これは札幌の熱心なファンによる命名で、これまで本誌でも、またPヴァインでも何度も使ってきた。
ブルース・ギター道とでも言うべき己のスタイルの追求ぶり、ヴォーカルとその作風の洒脱かつ奥深さ、すべてがその哲人的風貌に合致。ついつい拝むかのように聞いている、そんなファンが多いに違いない。僭越ながらファン代表として、あのステージ、そして彼が遺してきたすべての作品、演奏に、いま改めて声援を送り直したい。
ロックウッドは、2006年1月、孫弟子筋にあたるギタリスト、クリーヴランド・ファッツの録音にも参加している。そのギターの悠々たるロックウッド節は、見事というしかない。最期まで、ブルースを極め続ける偉大なる存在であった。
誰でもいつかは死んでいくわけだが、だからなおさら悲しいものは悲しい。
PISTOL PETE
2008.08.28
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JEFF LANG
2008.08.28
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ジョン・バトラー・トリオなどに多大なる影響を与え、良質なルーツ音楽を生み出し続けるオーストラリアのシーン自体を支え続ける孤高の天才シンガー・ソングライター。
比類なきスライドの実力、誰もが引き込まれる歌の世界と、斬新で度肝を抜くようなグルーヴとエネルギーを生み出すライブ・パフォーマンスで世界中の観客を魅了している。
「ギターの魔術師」とまで呼ばれるそのテクニックは、ブルース、ジャム、フォーク、オーガニックといったスタイルを遥かに通り越し、体験した人にただ感動を与えるオリジナリティーに満ちている。
キャリアは既に20年近くに及ぶが、2008年には日本デビューを果たす。
二度の来日ツアーに加え、同年の朝霧JAMでの壮絶なステージを見せつけ、2009年には満を持してのフジロック・フェスティヴァル出演を果たし、日本で初めて披露したトリオ編成で更なるヴァラエティーを足したグルーヴと感動を与えてくれた。
2009年11月4日には彼のロック魂を全開に出した新作アルバムがリリース!
新たな境地、新たなグルーヴ、そして新たな超絶プレイの領域に入ったジェフ・ラングを見逃すな!!