ジャンル: ROCKアーティスト情報

Damon & Naomi
2008.08.21

デーモン&ナオミは今年、喜ばしくもパフォーマーとして一緒に活動するようになって25 年目を迎える。そして、4年ぶりの新しい作品集『フォールス・ビーツ・アンド・トゥルー・ハーツ』以上に喜ばしい気持ちを表しているものはない。瑞々しい可能性と深みを持ったアルバム、『フォールス・ビーツ・アンド・トゥルー・ハーツ』では、最高のものを作り続けるアーティストの熱意と音楽のヴェテランの技術が融合している。暗く内省的な『ウィズイン・ディーズ・ウォールズ』からこれまでの年月が無駄に費やされてきたわけではない。デーモン&ナオミの最初のアルバム、『More Sad Hits』の再発、これまでのキャリアのハイライトの回顧展(『The Sub Pop Years』)、ドキュメンタリーとライヴ・パフォーマンスで構成された、ヴォリュームたっぷりのDVD『1001 Nights』、そして、おそらく最も特筆すべき、影響力絶大なギャラクシー500 の3枚のアルバムの再発と、多くの回想で費やされてきたのである。それゆえに、ノスタルジアの喜びと回想の温もりへのオード、「Walking Backwards」は『フォールス・ビーツ・アンド・トゥルー・ハーツ』の最初の曲にふさわしい。楽曲は栗原道夫のエレガントなギター――厚く共鳴するサイケ・サウンドは、日本のバンド、ゴーストとのコラボレーション(2000 年の『With Ghost』)以来、デーモン&ナオミの音楽の一部となっている――そして、『Death Of A Ladies’ Man』(注:レナード・コーエンのアルバム)スタイルの女声バック・コーラスとホーンによって彩られている。
『フォールス・ビーツ・アンド・トゥルー・ハーツ』は、バンドに与えられた、瞑想的なメランコリーという評価からすると、いくらか思いもよらない起源を持っている。アーティストが、オーディエンスの期待から逃れようとするプレストン・スタージェスの映画、『サリヴァンの旅』に言及した『Ants In Your Pants 2011』という仮題が付けられていたアルバムは、意外にもアップビートで声高だ。歌詞で本当の内省を描写する一方、メロディは元気が良く、広々としている。ピアノの演奏に対するナオミの新しい情熱は、星の多い夜のようにアルバムの周りを回り、プラスティック・オノ・バンドの最上の作品に見られる直接性を獲得している。もうひとつの曲「Shadow Boxing」は、人間関係の気まぐれさと、いかにして最も強い結合さえ対立するかを見る窓を開く。彼らのすべての作曲と同じく、歌詞は生に対して詩的で思慮深い見方を取っている。“闘わないでおこう/今夜は無駄なことはしないで”とナオミは歌う。彼らの最高の作品同様、それは彼らの表現において最も印象的な誠実さと必然性である。
『フォールス・ビーツ・アンド・トゥルー・ハーツ』で、デーモン&ナオミはまず第一にリスナーを音楽に向かわせるもの――感情、共感、そして美しさ――のきわめて重大なドキュメントを差し出している。

デーモン・クルコウスキーとナオミ・ヤンは、親密さの芸術の域に達した。

――グレッグ・コット(シカゴ・トリビューン紙)

デーモン・クルコウスキーとナオミ・ヤンは、ゆっくりと、着実に、こっそりと、彼ら自身を現在のシーンにおける最も一貫して興味深い文化的な巨大な存在へと仕立て上げた。

――バイロン・コーリーとサーストン・ムーア(アーサー誌)

デーモン・クルコウスキーとナオミ・ヤンは、過小評価されているアシッド・フォークの創始者である。

――キース・キャメロン(モジョ誌)

日本語公式サイト:http://www.damonandnaomi.jp/

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The Innocence Mission
2008.08.21

ペンシルヴァニア州ランカスターの高校で知り合った友人同士で結成。同地のカトリック・スクールの制作による舞台劇「Godspell」のためのバンドとして初めて一緒に演奏を披露する。1989 年にA&M よりデビュー作『the innocence mission』を発表。その後も『Umbrella』(1991)、『Glow』(1995)とリリースを続けた後、ドラマーのスティーヴ・ブラウンが脱退して現在のトリオ編成となる。RCA のサブ・レーベルKneeling Elephant に移籍して『バーズ・オ ブ・マイ・ネイバーフッド』(1999)を発表するが、間もなくしてレーベルが消滅。自主リリースの音源集を経て、2003 年にサンフランシスコ(当時)のインディー・レーベル、バッドマン・レコーディングから久々のフル・アルバム『ビフレンディッド』をリリース。翌2004 年には多くのスタンダードのカヴァーも含むチャリティ・アルバム『ナウ・ザ・デイ・イズ・オーヴァー』を発表して、幅広い支持を得る。2007 年に6 枚目のオリジナル・アルバム『ウィー・ウォークト・イン・ソング』をリリース。カレンは、そのヴォーカルの素晴らしさを買われ、ジョニ・ミッチェル(『ナイト・ライド・ホーム』)、ナタリー・マーチャント(『オフェーリア』)、ジョン・ハイアット(『ストールン・モーメンツ』)など、他アーティストの重要作にも多数参加している。

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Sonya Kitchell
2008.08.21

16歳の時、あなたは何をしていただろう。我々のほとんどの場合、その10代は探求と実験、そして不安の深い霧の中で費やされたにちがいない。そんな早い時期に自らの才能について満足に認識できるほど、十分に安定し、成熟していたものは数少ないだろう。ソーニャ・キッチェルはまれな例外である–たった16歳にして彼女は文字通りにも、比喩的な意味においても、まぎれもない自らの声を見つけたのだ。

その声の持つ、まぎれもない温かみと健全さは彼女のデビュー・アルバム『キャント・ゲット・ユー・アウト・オブ・マイ・マインド』(プロデュースはショーン・コルヴィンやスザンヌ・ヴェガを手がけるスティーヴ・アダボ)にパーフェクトに表現されている。人々は多くの偉大なシンガーのきっかけを感じ取るだろう、ジョニ・ミッチェルの風通しの良いリリシズム、エラ・フィッツジェラルドのフレージング、そしてノラ・ジョーンズやナタリー・マーチャントの煙るようなロマンティシズム–しかしそれらのサウンドはキッチェル自身のものだ。それは簡素でありながら誠実であり、心をふるわせる。

キッチェルのヴォーカルの温かみ以上に人々を驚かすのは彼女がその年齢にもかかわらず、偉大なシンガー・ソングライターであることだろう。アルバム『キャント・ゲット・ユー・アウト・オブ・マイ・マインド』に収められた曲は全て彼女のオリジナルである。今日までに彼女は100曲以上を書いており、彼女が12歳で作曲を始めたことを考えると、その驚くべき偉業はたった4年間で成し遂げられたのだ。摸倣ではないのと同時に、彼女の作品はジャズからフォーク・ロック、R&B、そしてポップスまでを開拓した。あなたがそれを聴いたなら、キャロル・キングやヴァン・モリソン、そしてバート・バカラックまで(特に「Tinted Glass」に)にいたる巨人達の影を感じるだろう。しかし彼女は彼女の人生の経験を非常に個性的な何かを創造するために注いでいるのだ。例えば「Clara」はイザベル・アレンデの著作『House Of Spirits』からインスパイアーされたものだし、「Someday」は浪費に対してキッチェルが異議を唱えた内容だ。

キッチェルと弟は西マサチューセッツの田園地帯にある40エーカーの土地で育ち、今もそこに住んでいる。そこでは勢いよく植林された夏の風景が晩秋に急速に冷たく荒涼となる。自然は詩的霊感とインスピレーションの源となるが、両親を見て育ったという彼女の度胸の芯がアーティストとして成功するキャリアを切り開いた。彼女の父親は抽象画ポスターの第一人者であり、彼女の母親はグラフィック・デザイナーである。ふたりから若きキッチェルは写真や旅行、そして何よりも音楽への愛情を受け継いだ。彼等は傾倒と忍耐をもってすればいかなることも可能となるという知識を覚えこませると同時に、知らず知らずのうちに不安定な経済的成功がアーティストに何を及ぼすかを示したのだ。

キッチェルは幼少のうちから母方の祖父から譲り受けたピアノ(それはクラシックのピアニストであり、ヴェトナム戦争の通信員でもあった母方の祖父が香港で買いもとめ、長い旅路を経て彼女の家にたどり着いた)をいじくりまわすことによってミュージシャンとして早いスタートをきった。彼女は8歳という感受性の鋭い年齢で、彼女の父親の義母のピアノ・リサイタルの中で歌う、という初めてのパフォーマンスを経験している。もちろん彼女の才能は生まれついてのものだが、彼女はミュージシャンとして成長するため常に努力をおこたらなかった。10歳の時彼女はジャズ・シンガーであるシーラ・ジョーダンとレベッカ・パリスによるヴォーカル・レッスンを受け始め、11歳の時には楽理の勉強も始めた。1999年に北カリフォルニアで行なわれたスペシャル・オリンピックで彼女は最初の大きなステージを経験した。もっと最近では彼女の作曲した「Romance」という曲が2003年のダウンビート・スチューデント・ミュージック・アワーズの“ジャズ・ヴォーカル”と“ベスト・オリジナル・ソング”部門で受賞した。加えて彼女はケネディ・センターにある、ベニー・カーター・ジャズ・アヘッド・プログラムにおいて、世界中の30歳以下の作曲家の中からわずか40人しか選ばれないというジャズ作曲の週間プログラムにも選ばれている。

2004年は若きソーニャ・キッチェルにとって極めて重要な一年であった。先行EP『コールド・デイ』のリリースはもちろん、彼女は自身のバンド(すでに3年共に活動している)と共に、タジ・マハール、タック&パティ、ショーン・コルヴィンといった世界的アーティストとの共演を果たした。彼女の才芸はその年齢にしては数多いにもかかわらず、もしあなたがキッチェルに質問したとしても、彼女が自身の年齢について口を開くのは一番最後だ。彼女にとってのゴールは全ての世代の、全ての世代のための、たぐいまれなヴォーカリスト、ソングライター、そして楽器奏者になることなのだ。

アーティスト公式サイト:http://www.sonyakitchell.com/

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DAVID GRUBBS
2008.08.21

ギタリスト/シンガーソングライター。1967年生まれ。ニューヨーク在住。ジム・オルークとの「Gastr del Sol」や、「Bastro」「Squirrel Bait」などのグループの創立メンバーで、自身のレーベル「Blue Chopstick」を主宰する一方、ニューヨーク市大学ブルックリン校音楽院の助教授も務める。10枚に及ぶソロ・アルバムを発表しており、最新作は『An Optimist Notes the Dusk』 (2008)。

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GANG GANG DANCE
2008.08.21

2000 年代初頭に結成。2003 年に『Revival Of The Shittest』をCD-R で自主リリース(後にSocial Registry からLP リリース)。2004 年にはFusetron からセルフタイトルのフル・アルバムを発売。さらに翌2005 年にセカンド・アルバム『God’s Money』、EP『Hillulah』をSocial Registry からリリース。2006 年には初来日を果たす。その後も、メンバーの手がけた映像作品とオーディオ・コラージュを収めた『Retina Riddim』、EP『RAWWAR』と休みなくリリースを続け、2008 年にサード・アルバム『セイント・ディンフナ』を発表。同年8月8日にはボアダムスによる88BOADRUM のニューヨーク版で指揮を任され、世界に先駆けて日本で行われたアルバム・リリース・ツアーでも6 都市7 公演で観客を熱狂させた。2009 年4 月にはコーチェラ・フェスにも出演。
2010年に日本を除く全世界で4AD とアルバム契約。エフェクトを駆使したギターやキーボードの歪なサウンドが乱れ飛び、エレクトロニック・ビートやパーカッション、シャーマニックな女性ヴォーカルと絡み合って織り成すポリリズミックでトライバルなグルーヴのめくるめく魅力は、ますます世界中のオーディエンスを虜にしている。


– Quotes –

ギャング・ギャング・ダンスはいま俺の一番好きなグループだね。この数年間そうなんだけど。彼らのライヴは素晴らしいよ。完全にユニークなサウンドで革新的。これだけエキサイティングでアイデアに溢れた音楽を聴くことは滅多にない。彼らには最高のビートがあるし、俺を驚かせてくれるんだ。

—アレクシス・テイラー(ホット・チップ)
[NME.com 2008 年10 月15 日付の記事より抜粋]

ギャンギャンは、永遠の翼の中に潜んでいて、やがて発見されようとしている部族のサウンド。彼らはこの世のものとは思えないようなものの音と馴染みのある音をとぎれなく融合させてしまう。ネヴァー・ネヴァー・ランドの笛吹きたち。『セイント・ディンフナ』はブルジュ・ドバイ(世界一高いビル)に影を投げているのさ。

—サイモン・テイラー(クラクソンズ)
[NME.com 2008 年10 月15 日付の記事より抜粋]

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PCD-4220 Burning Birthdays
2008.06.06

ニューヨーク、ブルックリンから現れた超新星、ハーレム・シェイクス。様々なレーベルからのオファーが殺到するも、自主リリースという形を選んだデビュー・ミニ・アルバムにボーナス・トラックを追加して待望の日本盤リリース! 

えも言われぬ高揚感をもたらす素晴らしいメロディとアレンジに奔放なアンサンブル! 

結成当初、シンプルでクールなガレージサウンドでポスト・ストロークスの最右翼と騒がれたのも今は昔。

後から振り返ればこれも彼らにとって通過点でしかないかもしれないが、そうだとすればこの若々しさはあまりに眩しい! 

ゲスト参加:ジョン・ナッチェズ(ベイルート)

「ハーレム・シェイクスというバンドについて何か書くということ自体に、僕にしてみるとちょっとバカげた感じがつきまとってしまう。理由は明白で、彼らの音楽を30秒も聴けば誰でも、そのどこがいいのかすぐに分かってしまうからだ。彼らのメロディは皆の頭の中に住み着いてしまうが、そうなるには一度聴くだけで十分だ。彼らと一緒にツアーするのは困難だった。というのも、僕らは毎晩、彼らがステージで放つエネルギーを倣おうとしなければならなかったし、眠りにつく時に頭の中で聴こえてくるのはハーレム・シェイクスばかりだったから」

――グレッグ・ソーニア(ディアフーフ)

「ニューヨークから現れる数多の新人バンドとは違い、ハーレム・シェイクスはひとつの狭い枠組みの中に留まっていることをよしとしない。彼らのハーモニーはスペクター時代のポップにも比することができるかもしれないし、壮麗なコーラスはニュー・ポルノグラファーズやウォークメンにも似ているかもしれないが、熱狂的なフックの衝撃を前にしては、『バーニング・バースデイズ』を簡単に分類してしまうことなどできない」

(ピッチフォーク)

「ニューヨークから現れるバンドの誰もが、自分たちはNext Big Thing(次の大物)だと思っているが、実際にその称号をもぎ取るのは彼らだろう。キャッチーなガレージ・ロック、素晴らしいハーモニー、それに踊ることだってできるのだ」

(ワシントン・ポスト紙)

「ハーレム・シェイクスは今ブルックリンで最もアツいバンドのひとつだ。彼らにはいつでも臨戦態勢というニューヨーク的な美学ーーいい意味でだらしないギター、加速していくドラムとベースラインーーを50年代のロック黄金時代の高揚感あふれるサウンドにあてはめてしまう」

(プレイボーイ誌)

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PCD-17100 Kajak
2008.06.06

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PCD-20020 Women as Lovers
2008.06.06

今やディアフーフに次ぐキル・ロック・スターズの重鎮バンド(特にヨーロッパでの人気は絶大)、鬼才ジェイミー・スチュワート率いるシュシュの新作フル・アルバム! ジョイ・ディヴィジョン~キュアーを思わせるようなポスト・パンクからアヴァン・フォーク、ノイズまでを横断しながらシュシュならではの世界を作り上げている大傑作!

ディアフーフのグレッグ・ソーニアがミックスを担当。同じくディアフーフのジョン・ディートリックやマイケル・ギラ(スワンズ、エンジェルズ・オブ・ライト)もゲスト参加!

まさに唯一無二の存在感。ますます形容しにくいがどこまでも徹頭徹尾シュシュ的なアルバム。

長年の友人であるディアフーフのグレッグ・ソーニアの言葉を借りるなら「恐れ知らず、創造的、滅入ってる、ファニー、自嘲気味、過度に正直」。

それだけでは何が何だかさっぱりだが、注意深く聴いてみればそれがまっとうな賛辞であることが自ずと分かる。

前作『The Air Force』発表後、グレッグやヘラのザック・ヒルにも匹敵する西海岸きっての異能ドラマー、チェズ・スミスと、ネルズ・クラインらとのコラボレーションでも知られるベーシストのデヴィン・ホフが加入し、以前から参加しているスチュワートの従妹キャラリーを含めた4人編成。

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PCD-22288 Canaxis
2008.06.06

1968年、カンの結成後数ヶ月という時期にロルフ・ダマーズの全面的な協力を得て録音された最初のソロ・アルバム。テープ・コラージュを駆使して初めて自覚的にサンプリングの手法を取り入れた画期的な作品。

ベトナムの舟歌を引用した1曲目「Boat Woman Song」などは今聴いても驚くほど新鮮。カンの最初期のメンバーでもあるデヴィッド・ジョンソンも制作に参加している。

1999年の「カン・ソロ・プロジェクト」でシューカイが行ったマルチメディア・プロジェクト「マガジン」の貴重な録音から2曲を追加収録!

「カンの結成から数ヵ月後、私は最初のソロ・アルバムとなる『カナクシス』を録音した。この音楽は世界中の様々な場所にその起源を持っている。それは、新しい文脈の中で、真の特徴と美しさを探求し、形に留めようとする直感によってアレンジされた。ここで、私は初めて”サンプリング”のアイデアを試した」

―ホルガー・シューカイ

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SC-104 Antony And The Johnsons
2008.06.06

待望の新作『The Crying Light』をリリースしたアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの、今では入手が困難なファースト・アルバム!2000年、カレント93のデヴィッド・チベットが運営するUKのレーベル、デュルトロからリリースされたセルフタイトルのデビュー・アルバム!04年に再リリースされたシークレット・カナディアン盤!

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