ジャンル: SOULアーティスト情報
FUNKADELIC
2008.09.10
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NATHAN DAVIS
2008.09.10
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REBEL CLIQUE
2008.09.10
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ファット・ジョンはベルリンで用を足す場所を探していたところ、偶然あるカフェを見つけ、そこでドイツのR&Bソングストレス、アムレセット・ソロモンに出会った。2、3分話した後、お互いが似通った音楽への情熱と音楽制作プロセスをもつミュージシャンであることがわかった。ふたりは02年にレベル・クリークという名のグループを組んだ。グループ名(「抵抗勢力」とでも称そうか)はふたりの音楽業界に対する姿勢と、「音楽は受け入れられるべき方法で響かせなければならない」という考え方を表している。レベル・クリークはひとつの特定なスタイルや音を要求しないグループであり、アムレセットのR&B、ファット・ジョンのヒップホップ、双方のバックグラウンドどちらかに偏ることなくクリエイトされるのだ。
RHONDA THOMAS
2008.09.10
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O.V.WRIGHT
2008.09.10
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ERIC ROBERSON
2008.09.10
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インディ・ソウル・ムーヴメントに代表的存在がいるとするならば、それは恐らくエリック・ロバーソンだろう。彼が他のアーティストから受けるリスペクトは、妥協を許さない彼の成功と、新進気鋭のシンガーやミュージシャンたちを無欲にサポートする姿勢による。驚くほど広大な彼のファン層の中でも、ほとんど狂信的とも言えるファンたちがエリックをインディ・ソウル・キングのように祭り上げることで、あわせて同業者からの人気も過熱しているようにみえる。
ニュージャージーのローウェーで音楽一家に生まれ育ったエリックの幼い頃の記憶の中には、父親が歌ったりギターを弾いたりしていた姿がある。エリックは幼少の頃から歌い始め、ティーンエイジャーになる頃には本格的にパフォーミングを開始した。ミュージカル・シアターの奨学生としてハワード大学で学び、キャンパスでは頻繁に演奏活動を行う傍らワーナー・ブラザースとレコード契約を結び、1994年のR&Bヒットとなった“The Moon”もこの頃録音された。
卒業後、エリックはシンガー、ソングライター、そしてプロデューサーとして評判となり、ジル・スコット、ミュージック・ソウルチャイルド、ヴィヴィアン・グリーン、ドゥウェレ、ウィル・ダウニングをはじめとするアダルト・ソウル・アーティストの影の有力者として10年以上に渡り活動してきた。
創造の自由に対するエリックの欲求が、彼をメジャー・レーベルから回避し、2001年の『ジ・イーソテリック・ムーヴメント』からインディペンデントなソロ・アーティストとしてキャリアを築いていくよう導いた。それからの5年間は、インディペンデントなアーティストとして最も成功を収めているアーティストの一人として、事実、これまでの常識をひとつひとつ覆すような動きをしてきた。彼は作りたいと感じたときにアルバムを制作し、既に作った作品に手を加えたり、リイシューをした。
また、主に彼自身のコンサート会場や小売店、CD Babyという販売網を通してCDを販売し、批評家から高い評価を受けている『ジ・イーソテリック・ムーヴメント』(PCD-2575)『ザ・ヴォールト vol.1』『ザ・ヴォールト vol1.5』(PCD-24145)、そして2005年の『ジ・アペタイザー』(PCD-2620)の4枚のアルバムは10万枚のセールスを記録した。
疲れ知らずのツアー・アーティストでもあるエリックは、毎月8箇所から10箇所の、どれもソールドアウトとなるコンサートを行い、一方で他アーティストの数え切れないほどの作品にゲスト・ヴォーカリストとして参加している。
いわゆるメインストリームの外側での、エリック・ロバーソンの活動の成功は、他のインディペンデントなアーティストの良き手本となり、また、完全にエリック自身のやり方で勢いに乗り続ける、今日の彼のキャリアをもたらしているのだ。
MYRON
2008.09.10
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クリーヴランド出身のソウル・シンガーで、音楽家一家に生まれたマイロンは、音楽を作ることが運命付けられていた。
彼の練習の場でもあった父親の教会で、マイロンはドラムとピアノを習得し始めた。
母親はオルガンとウーリッツァーで伴奏し、父親は歌を歌いアルト・サックスを演奏しながら、マイロンは4歳の時から弟と一緒に、アメリカ中西部じゅうの教会やスクールイベントを歌って回った。
高校を卒業して間もなく、マイロンは多数の「ホテル・バンド」のサイドマンとしてキーボード/ヴォーカリストで起用され、東海岸を旅して回った。
1996年、フィラデルフィアのAdam’s Markホテルでの演奏中に、マイロンはアイランド・ブラック・ミュージックのA&R、スタンレー・ブラウンに発掘された。
マイロンはアイランド・ブラック・ミュージック社長、ハイラム・ヒックスのもとで契約を結んだ。そしてウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『Eddie』のサウンドトラックにフィーチュアされ、曲も書いた。
1998年、マイロンのデビュー・アルバム『Destiny』が発売された。そしてシングル“We Can Get Down”, “So Fly”, “Destiny”もリリースされた。アルバムのゲスト・アーティストはソルト‘ン’ペパのスピンデレラ、ボーイズIIメンのショーン・ストックマン、プロデューサーとしてはチャッキー・トンプソン、[LaFace]のプロデューサーのジョン=ジョンなどだ。
アルバム『Destiny』は20万枚以上のセールスを誇った。ファースト・シングルの“We Can Get Down”はロンドンのR&Bチャートで1位を獲得し、10週間もの間、1位の座に輝いた。
この間にも、マイロンはマイヤや[Loud]のL.V.といったメインストリームのR&Bアーティストをプロデュースし、ドゥルー・ヒルのゴールド・シングルとなったデビュー・シングル“Tell Me”を作曲した。
一年後、アイランド・ブラック・ミュージックは倒産し、マイロンのデビュー・アルバムのプロモーションも終了した。
2000年、マイロンと彼のパートナーであるジョシュ・ホニストックはインディペンデントのソウル・レーベル、[Moja Music]をニューヨークに創設した。
契約を結んだアーティストのプロダクションや作曲のクレジットには[Interscope Records]のダニ・スティーヴンソン、[J Records]のギャヴィン・デグロウ、[Shanachie Records]のウォルター・ビーズレイ、そして[Nu Mecca / Orpheus Records]のコーニャ・ドスなどがいる。
2004年、[Moja Music]はマイロンのセカンド・アルバム『Free』をリリースした。このアルバムはUK、フランス、日本、そしてブラジル、アルゼンチンで、インディペンデントのレーベルから発売され、10,000枚のセールスを記録した。
シングルの"Free"は[Hidden Beach Records]の『Hidden Hits Vol,1』や、UK、ノルウェー、モナコの2005年度の数枚のコンピレーションにフィーチュアされた。
アルバム『Free』のプロモーションのため、マイロンは2004年3月にUKでツアーを開始し、同年6月にはUKのMTVでのライヴ・コンサートに出演した。
2004年5月、マイロンは‘音楽業界と、表彰に値するコミュニティへの貢献’において、ザ・クリーヴランド・ハイツ・アルムナイ・ホール・オブ・フェイムの殿堂入りを果たした。
2005年から2006年にかけて、マイロンはクリーヴランドのソウル・シンガー、コーニャ・ドスの2枚のアルバム『Just Because』と『Love Rain Down』[Dome Records / Moja Music]をプロデュースした。2006年から現在まで、マイロンはニュー・コミュニティー・バイブル・フェローシップの、クワイアとバンドのミュージカル・ディレクターに任命されている。
2007年、マイロンはスイスでトップ10に入るアーティスト、セヴンのアルバム『Home』の4曲をプロデュースした。同年、マイロンはニュー・アルバム『Myron & The Works』のプロデュースのため、ミシェル・ンデゲオチェロ、ロバート・グラスパー、チャールズ・ヘインズらとコラボレイションを開始した。
新作は2008年の初夏にリリース予定である。
2008年の初頭には、同じく2008年にリリース予定のコーニャ・ドスのニュー・アルバムに収録される4曲をプロデュースした。
JIVA
2008.09.10
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ジョージア州アトランタ出身のソウル/ジャズ・バンド。リーダーであり音楽監督を務めるカーリ・サイモンはインディア.アリー・バンドのベーシストとしても知られ、インディア.アリーやドニーなど、アトランタのネオ・ソウル・アーティストを世に送り出す立役者となった人物でもある。個性的な4人のヴォーカリストをフロントに、柔らかなフェンダー・ローズやジャジーなホーンをフィーチャーしたジーヴァのサウンドは、R&Bをベースにしつつも、ジャズ、ボサノヴァ、ハウスなど様々なエッセンスを柔軟に吸収したもので、ソウルフルなヴォーカルとアコースティックなインストゥルメンタル・サウンドが絶妙なバランスでブレンドされているのも特徴のひとつ。2000年にデビュー10インチ『Stars』をジャイアント・ステップからリリース。トム&ジョイス・リミックスの収録もありライナー・トゥルービー、フランキー・ヴァレンタインなど世界中のDJから絶賛を受ける。続く『The Love E.P.』でもボサノヴァ・フィールを存分に発揮した爽やかなサウンドがヒット、その後「Stars」のルイ・ヴェガ・リミックスをフィーチャーした12インチのリリースなどにより、ハウス・シーンでも話題となった。
TOUCH OF CLASS
2008.09.10
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V.A.(RE:SPULED BY JAY-J)
2008.09.10
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ダンス・ミュージック・プロダクションの世界において、ジェイ・Jは彼のシグニチャーでもある「セクシーで、ソウルフルで、ダンスフロアを主体とした」スタイルの”利殖の才”のあるプロデューサーとして名声を確立した。
そのスタイルとは、ファンク、ソウル、そしてディスコのエレメントが、官能的なヴォーカルとブレンドされたスタイルである。
ジェイ・Jはミゲル・ミグス、カスケード、マルケス・ワイアット、ヘイロー、ジュリアス・パップ、マーク・グラント、そしてダンス・ミュージックで最もリスペクトされるプロダクションの一つであるモウルトン・スタジオのクリス・ラムをはじめとする、多数のダンス業界のトップ・アイコンたちとコラボレートしてきた。彼らとのセッションからは、音楽のプロフェッショナルたちの注目を惹く、コンテポラリー・ダンスミュージックとしては世界規模の成功を収めたリリースが生まれた。
2003年、ジェイ・Jはジル・スコット”He Loves Me”のリミックスでグラミー賞にノミネートされる。彼はまた、アリシア・キーズ、デイヴィッド・グレイ、リル・キム、コフィ・ブラウン、そしてドニー・マクラーキンなど著名なアーティストのリミックスも手掛け、2006年には、MTVオーストラリアがジェイ・Jに対し、アシュリー・シンプソがホストを務めたMTVオーストラリア・ビデオ・ミュージック・アワードへのパフォーマンス出演を依頼、レッド・カーペットや受賞式をあわせ、番組は(全世界で)13億人の視聴者を数えた。出演者はそのほかにスヌープ・ドッグ、ジェイムス・ブラント、ラッセル・クロウなどである。
音楽業界のプロフェッショナルやメーカーたちは、最もホットで新しいテクノロジーの発達を明示するために、1度聴いたら耳から離れないジェイ・Jの音楽を採用した。ラトリス・バーネットをフェーチャーしたジェイ・J ”Make My Heart”は、デジデザインのICON統合コンソール・システム(2004)のサウンドトラックに使用された。アップル(コンピュータ)とデジデザインのコラボレーション企画である”Motivated By Music”は、ワールドワイドのキャンペーンとブラジル、メキシコ、イタリア、アメリカを周ったツアーのテーマにジェイ・Jの音楽をフューチャー。またSony Oxfordは音響の多様性とソフトウェア・プラグインの性能をデモンストレイトするために、ジェイ・Jの音楽をマスター・テンプレートとして採用。そしてアップルはジェイ・Jに、GarageBand(※macのレコーディング・ソフト)対応のリミックス・ツール、Jampack用に2曲のオリジナル曲制作を依頼した。
現在、XM Radio、Music Choice、Di.Fm、Energy 92.7 FM(サンフランシスコ)、そしてKBIG 104 FM / Thump Radio(ロサンジェルス)などのシンジケーテッド・ラジオ番組※、それと世界50局以上のインターネット・ラジオでジェイ・Jの音楽を聴くことができる。
※同一プログラムを地域によって別々の放送局でオンエア
ジェイ・Jの同業者たちは、この業界で最も影響力を持ち、リスペクトされ、多産な人物であると彼を捉えている。DJ、またプロデューサーとして、ほとんどの人が成し得ない、あくまで高いクオリティの作品をジェイ・Jは生み出してきた。
彼の新しいレーベル”Shifted Music”と共に、更にイノヴェイティヴでユニークなプロダクションを今後も期待できるだろう。














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