ジャンル: JAPANESEアーティスト情報
ONOSE MASAO SHOW
2008.09.10
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OGURUSU NORIHIDE
2008.09.10
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KIYOSHI SUGIMOTO
2008.09.10
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MORRY TAYLOR
2008.09.10
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THE 69YOBSTERS
2008.09.10
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原宿RUDENESS(元メンバーが経営するルードボーイ御用達のウェア・ショップ)に集まるスキンヘッズ仲間で前身バンドのHARDSTOMPER 69を2003年12月に結成、メンバー・チェンジを経て2004年12月にTHE 69YOBSTERSとなる。
もちろん、バンドのテーマは一貫して”SKINHEAD REGGAE”。
1970年代、UKの労働者階級の白人若者、スキンヘッズの間で大流行したビートの効いたオルガン・サウンドを重視したレゲエを奏でている。以後、粗削りなスタイルながらライヴ活動を精力的に展開。日本に於て唯一無二のスキンヘッド・レゲエ・バンドであり、そのサウンドはスキンズはもちろん、モッズ、スカ、レゲエ、パンクスと言った多ジャンルの音楽好きからも注目を集めている。
また、メンバーそれぞれにキャラクターがありステージングが面白く、ライヴごとにファンが増え、必ず気に入ってくれた人から次回ライヴのオファーをされるほど、人気急上昇中!
ちなみにバンド名の由来は”69″がスキンヘッド・レゲエが生まれたとされる1969年から、”YOBSTER”は”YOB”がスラングで”BOY(お坊ちゃん)”のスペルを逆さまから綴って”YOB(不良もの)”と言うものである。
MOONRIDERS
2008.09.10
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1976年のデビュー以来、常に時代の一歩先を行くサウンドを提示しシーンを疾走してきたムーンライダーズ。鈴木慶一、岡田徹、かしぶち哲郎、武川雅寛、白井良明、鈴木博文、メンバー全員がソロ・ミュージシャンでありプロデューサーでもある彼等が日本の音楽シーンに与えた影響はあまりにも謀り知れない。
ムーンライダーズは日本のロック界のリヴィング・レジェンドと言われるだけあって、実にさまざまな歴史がある。一つは、バンドとしての歴史。二つ目が、メンバー6人それぞれのソロ活動の歴史。三つ目が、作詞家/作曲家/アレンジャー/プロデューサーとしての歴史。すなわち、日本の音楽シーンを裏側から支えてきた音楽家集団としての歴史である。
JIRO INAGAKI & HIS SOUL MEDIA HEAD ROCK
2008.09.10
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bay4k from SCARS
2008.09.10
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KEMUI
2008.09.10
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1995年スクラッチやラップに影響を受けターンテーブル購入、DJとして1年ほど 腕を磨くが日本語のラップを耳にし衝撃を受け表現スタイルをMCへと変 える、 1996年ラップユニットOBOROを結成し都内を中心に本格的にLive活動を開始、 Dj celory / Dj hazime / Dj martinなどのMIX TAPEへの参加、またデモテープ を配るなどして2001年まで活動する。方向性に迷い1年ほど活動を休止し2003年 1MCとなり再始動、今は無き渋谷 SECOBARの伝説的イベント「TRAFFIC」へMCや DJとしてレギュラー参加、またMSC主催のイベント「HOT POT SPOT」への参加な ど現場復帰を果たす。2004年RUMIのソロアルバム「HELL ME TIGHT」へトラック とラップで参加。2005年漢(MSC)のソロアルバム「導~みちしるべ~」へ「破壊と 再生」で参加。そして2006年には LibraRecord監修のV.A「天秤録音」へDJ KEN(MJP)との合作「WORD OF PAIN」で参加。2007年、約10年になるキャリアの 中で初となるアルバム”BLUE SCREEN”がリリースされた。
Independed Hip-Hop artist KEMUI has been started as a DJ in his career in 1995 ,l he bought turntable afected by scratch and rap style. After one year Japanese Rap changed his work filed most of MC. In 1996, ”OBORO” had been organized as his Rap unit, worked Live action in Tokyo. He worked with many artist such as DJ Celory / DJ Hazime / DJ Martin, tried to make Demo from 1996-2001.But he quit his Rap group because of diffrence there style, he stoped his live action about one year. Then he started his action from 2003 again, performed legendaly event called 「TRAFFIC」 at SECOBAR, 「HOT POT SPOT」 organized MSC as a DJ and MC. He came back perfectly in his new way. In 2004, RUMI’s solo album 「HELL ME TIGHT」 as a produce and Rapper. In 2005, MC KAN solo album "Michishirube" as a produce and Rapper. In 2006, LibraRecord V/A "Tenbin-Rokuonn" worked with DJ KEN(MJP)(title "WORD OF PAIN")In 2007, he released his first album in his 10 year’s career called "BLUE SCREEN".