ジャンル: ROCKアーティスト情報
RAYMOND TEAM
2008.09.10
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GHOSTLAND OBSERVATORY
2008.09.10
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<オフィシャル・バイオより>
ゴーストランド・オブザーヴァトリーはバンドではなく、お互いのビートに動かされた心とロッケンロール精神を満たすために交わされた友人2人の間の約束である。DIY姿勢を貫き、地元オースティンのスタジオで数え切れないほどの時間を費やし、1年の間に2枚のアルバムを発表。そしてその圧倒的なライブとユニークなスタイルで東から西までと客の度肝を抜き続けてきた。
ゴーストランド・オブザーヴァトリーはフロント・マン、アーロン・べーレンズとプロデューサー/ドラマーのトーマス・ターナーの2人組である。
べーレンズのボーカル・スタイルとステージ上のパフォーマンスは実に独特で妥協のないものであり、早い段階からフレディ・マーキュリーやプリンスとも比較されてきた。ターナーはダフト・パンク、ローレン・ガーニエーやグリーン・ヴェルヴェットといったエレクトロ系アーティストに影響を受けながら、アニマルズ、ディヴィッド・ボウイやクラッシュといったロッカー達への愛も強い。
エレクトロニックス、ドラム、ギターとボーカルの輝かしいブレンドを引っさげ、過去からの影響と最新のインスピレーションを見事に反映したサウンドで登場した彼らはただ一言で説明されるべきだ…男気(BALLSY)。
MARNIE STERN
2008.09.10
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NEW BLOODS
2008.09.10
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JIM O’ROURKE
2008.09.10
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アメリカ「ポスト・ロック」シーンの牽引者。
1969年シカゴ出身。10代後半にデレク・ベイリーと出会い、ギターの即興演奏を本格的に始める。その後、実験的要素の強い自身の作品を発表。ジョン・フェイヒイの作品をプロデュースする一方でガスター・デル・ソルやルース・ファーなど地元シカゴのバンドやプロジェクトに積極的に参加。「シカゴ音響系」と呼ばれるカテゴリーを確立する。また、マース・カニンガム舞踊団の音楽を担当するなど、現代音楽とポスト・ロックの橋渡し的な存在となる。1999年にはフォークやミニマル音楽などをミックスしたソロ・アルバム『ユリイカ』を発表、インディーズのリリースながら、日本でも数万枚を記録。近年ではソニック・ユースのメンバー兼音楽監督としても活動、より広範な支持を得る(2005年末に脱退)。2004年には「Wilco/Aghost is born」のプロデューサーとして、グラミー賞を受賞、本国でも現代アメリカ音楽シーンを代表するクリエイターとして、高く評価されている。日本文化への造詣も深く、「くるり」のプロデュースを始めとして、ボアダムス、カヒミ・カリィとのコラボレーションや、映画監督、若松考二の作品の評論など様々な活動を行っている。
MOTORPSYCHO
2008.09.10
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モーターサイコは1989年10月に、ノルウェーの中西部の湾岸に位置する産業都市、トロンハイムで結成された。最初のラインナップはベント・セーテル(ヴォーカル、ベース)、ハンス・マグヌス「シュナー」リーヤン(ギター、ヴォーカル)とシェル・ルナール「キラー」イェンセン(ドラムス)だった。彼らは、ロンドンでラス・メイヤー映画の3本立を見ているときにバンド名を思いついた。そのうちの2本(『Mudhoney』と『Faster Pussycat』)はすでに他のバンドにとられていたが、『Motorpsycho』だけがまだ残っていたのだ。最初のアルバムは1991年の『Lobotomizer』で、この後、「キラー」が脱退してホーコン・ゲッハルトがドラムスに入り、その後2005年まで続くモーターサイコの中核が出来上がった(すなわち、ベント、シュナー、ホーコンの3人)。しかし、スカンジナヴィアとヨーロッパのそこらじゅうで、彼らの認知度を押し上げ、絶賛を浴びることになったのは、サード・アルバムの『Demon Box』だった。『Demon Box』は獰猛なポップ・ソングや激しくプログレッシヴな主旋律からインダストリアルな戦慄のヴィジョンまであらゆる要素を含んでいた。それはノルウェーのプレスでは年間ベストの呼び声も高く、後に(ノルウェーの)グラミーにまでノミネートされた。
モーターサイコは、ドイツ、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、イタリアなどを精力的にツアーして回り、行く先々でファンを増やしていった。続いてリリースした2枚のEP(『Mountain』と『Another Ugly』)は、それぞれが、モーターサイコのトレードマークともいうべき、驚異的なスタイルの多彩さを見せていた。ロスキレやロウランズといった著名なフェスティヴァルに出演した後、バンドは『Demon Box』に続くアルバム――ノルウェーではEMI/Harvestでリリースされ、世界の他の地域では新たに設立されたスティックマン・レコード(独ハンブルグ)からリリースされた――にとりかかった。その『Timothy’s Monster』には、情熱的なロック、へヴィーなサイケデリア、そしていくつかのスイートで歯切れのよいポップ・ソングが、2時間にもわたって詰まっている。その尋常ならざる長さによって、CD2枚組、フル・カラーのポスター付きLP3枚組ボックスセットの形でリリースされた。
『Timothy’s Monster』を機に、モーターサイコはノルウェーでのリリースをEMIからソニーに切り替えた。そして空恐ろしくなるくらいものすごい量の曲を書き、レコーディングしてきた。彼らに合わせて時計をセットすることだってできる。彼らは毎年のように、1年に1枚のペースでアルバムをリリース(『Trust Us』の場合は2枚組だが)している他、数え切れないほどのシングルや、コンピレーションの収録曲や、全曲カントリー&ウェスタンのサウンドトラックまで出してきた。そして恐らく、彼らのリリースの中でも最も奇妙なのが、Musical Tragedies Records から出た、オールド・スクールのロックンローラー、アリス・クーパーとのスプリット・シングルだろう。
それだけでは物足りないかのように、モーターサイコは、「Roadworks」と冠されたライヴ・アルバムのシリーズも始めた。『Heavy Metall iz a poze, hardt rock iz a laifschteil』という素晴らしいサブ・タイトルが付いた第一集は1999年3月にリリースされ、2000年の終わりにリリースされた第二集『The MotorSource Massacre』は、The Source とDeathprod (ヘルゲ・ステン)と共演した1995年のコングスベルグ・ジャズ・フェスティヴァルの実況録音である。
2000年は、アルバム『Let Them Eat Cake』がノルウェーのチャートで1位に上りつめ、ドイツでもチャートインするなど、モーターサイコとスティックマン・レコードにとっても初の快挙を成し遂げた。続く2001年の『ファナロタイム』のリリースでも、ノルウェーでは初登場1位となり、再びドイツでもチャート入りを果たし、前作よりもさらに高い位置につけた。
2002年も上向きの螺旋に沿って進んでいった。2回のツアーと9月にリリースされたアルバム『イッツ・ア・ラブ・カルト』の成功--ヨーロッパ4ヶ国でチャート入りを果たし、日本でもライセンスされた。アメリカも遂にモーターサイコに注意を払い始めたことは、2002年10月の短い東海岸ツアーの実現でも証明された。
2003年と2004年は、モーターサイコにとって「休息」期間とでも言えそうなものだった。この間に、『Timothy’s Monster』のLPヴァージョンのボックス・セットや超レア化していた『Tussler』サウンドトラック(もちろんボーナス・トラック付き)といった入手困難な昔の音源の再リリースが行われた。さらに2004年、バンドは「インターナショナル・タスラー・ソサエティ」の他のメンバーに加わってノルウェーで何度か公演を行い、DVD付きのアルバムもリリースした。このさほどおとなしいとも言えない「休息」の間に、彼らは Konkurrent(ヨーロッパ)と Touch and Go(アメリカ)から出ているシリーズ「In The Fishtank」のために、モーターサイコとジャガ・ジャジストのホーン・セクションによるセッション音源もリリースした。彼らにとって初めてとなった日本ツアーのことも忘れてはいけない!
2005年には悲しいニュースもあった。長い間ドラマーだったゲッハルトが、自身の無数にある他の音楽プロジェクトに集中するため、バンドを脱退したのだ。しかし、ベントとシュナーは揺るぎない意志を保ってオランダのスタジオ「The Void」で新曲に取り組み、遂に2枚組の大作『ブラック・ホール/ブランク・カンヴァス』を完成させた。
トロンハイムの家にいるときには、モーターサイコのメンバーは1週間に6日、1日に少なくとも4時間は練習する。家を留守にしている時には、スタジオにいるか、あるいはツアーに出て、この銀河系のどこかで、クラブを満杯にして最大のヴォリュームで演奏していることだろう。
バンドに関する情報、ほとんどコンプリートなディスコグラフィー、写真、歌詞、ギター・タブ、ゴシップなどなどは以下の非公式ホームページで見ることができる。
*非公式ページ、膨大な情報量です
http://motorpsycho.fix.no
*日本語ファンページ
http://www.madsun.com
GHOST
2008.09.10
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1984年に東京で結成。結成当初は即興を中心とした実験的な音楽を探究していたが1stアルバム "Ghost" 製作を境に、即興演奏と曲を同等に取り入れた現在のスタイルへ移行した。
Ghostの音楽性のベースには常にアコーステイックギターを中心としたバンドのスタイルが存在しているが、ライブやレコーデイングなど毎回の趣向により、民族楽器・古典楽器などの生楽器が自由にそこに加えられる。それらを用いた演奏には、時には瞑想的であり時には宗教的モチーフさえ感じさせるほどに多層的・重層的ながらどこか素朴な響きを持ったものである。また、楽器構成だけでなく演奏空間にも着目し、廃虚・教会といった場所での活動を実現させている。こうした彼等の活動の全ては、表現の選択肢を拡げてゆこうとする試みであり、音楽を単なる「音」として捉えない姿勢の一つの現れと言えるだろう。
Damon & Naomiをはじめとして、Can, Spiritualized, Echo&The Bunnymen など様々なアーチストから熱いシンパシーを享受してきた希有な存在である。現在7枚のアルバムを米シカゴのDrag Cityより発表しており、本国日本よりもどちらかというと海外での評価が高いグループであったとも言えよう。近年、その活動の拠点は主に海外であった為、国内公演は貴重なライブとなるであろう
馬頭將噐:Vo,Gt,Hardy Gardy
瀧澤大志:Flute,Sax,Thermin,etc
荻野和夫:Piano,Keyboards,Recorder,etc..
栗原道夫:Guiter
立岩潤三:Drums,Tabla,etc…
守屋拓之:Contra Bass,Electric Bass
CASSETTES WON’T LISTEN
2008.09.10
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04年ごろから自室にマイクを持ち込んで録音し始めたMP3を友人達に送ったところ、いつしかGorilla vs. BearやScissorkickといった人気のブログで注目され、デジタルEP『Nobody’s Moving』をリリース。シングル「Cutting Balloons」はネット・ラジオWOXYのチャートのトップを飾った。その後アソビ・セクス、ダーティ・オン・パーパスのようなロック・バンドからEl-P、Mr. Lifといったヒップホップ系まで数多くのリミックスをこなしつつデジタル・インストEP『The Quiet Trial』をリリース。2枚のEPはSPIN誌、NY Pressといったメディアから絶賛され、Myspaceのトップページにフィーチャーされたり、Urb誌の“Next 100 for 2007”に選ばれたりしている。『Small-Time Machine』は彼の初となるフィジカルでのリリースであり、全作詞作曲・プロデュースはジェイソンによるもの。08年のサウス・バイ・サウス・ウェストでも複数のステージをこなした。