MOTORPSYCHO モーターサイコ

モーターサイコは1989年10月に、ノルウェーの中西部の湾岸に位置する産業都市、トロンハイムで結成された。最初のラインナップはベント・セーテル(ヴォーカル、ベース)、ハンス・マグヌス「シュナー」リーヤン(ギター、ヴォーカル)とシェル・ルナール「キラー」イェンセン(ドラムス)だった。彼らは、ロンドンでラス・メイヤー映画の3本立を見ているときにバンド名を思いついた。そのうちの2本(『Mudhoney』と『Faster Pussycat』)はすでに他のバンドにとられていたが、『Motorpsycho』だけがまだ残っていたのだ。最初のアルバムは1991年の『Lobotomizer』で、この後、「キラー」が脱退してホーコン・ゲッハルトがドラムスに入り、その後2005年まで続くモーターサイコの中核が出来上がった(すなわち、ベント、シュナー、ホーコンの3人)。しかし、スカンジナヴィアとヨーロッパのそこらじゅうで、彼らの認知度を押し上げ、絶賛を浴びることになったのは、サード・アルバムの『Demon Box』だった。『Demon Box』は獰猛なポップ・ソングや激しくプログレッシヴな主旋律からインダストリアルな戦慄のヴィジョンまであらゆる要素を含んでいた。それはノルウェーのプレスでは年間ベストの呼び声も高く、後に(ノルウェーの)グラミーにまでノミネートされた。

モーターサイコは、ドイツ、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、イタリアなどを精力的にツアーして回り、行く先々でファンを増やしていった。続いてリリースした2枚のEP(『Mountain』と『Another Ugly』)は、それぞれが、モーターサイコのトレードマークともいうべき、驚異的なスタイルの多彩さを見せていた。ロスキレやロウランズといった著名なフェスティヴァルに出演した後、バンドは『Demon Box』に続くアルバム――ノルウェーではEMI/Harvestでリリースされ、世界の他の地域では新たに設立されたスティックマン・レコード(独ハンブルグ)からリリースされた――にとりかかった。その『Timothy’s Monster』には、情熱的なロック、へヴィーなサイケデリア、そしていくつかのスイートで歯切れのよいポップ・ソングが、2時間にもわたって詰まっている。その尋常ならざる長さによって、CD2枚組、フル・カラーのポスター付きLP3枚組ボックスセットの形でリリースされた。

『Timothy’s Monster』を機に、モーターサイコはノルウェーでのリリースをEMIからソニーに切り替えた。そして空恐ろしくなるくらいものすごい量の曲を書き、レコーディングしてきた。彼らに合わせて時計をセットすることだってできる。彼らは毎年のように、1年に1枚のペースでアルバムをリリース(『Trust Us』の場合は2枚組だが)している他、数え切れないほどのシングルや、コンピレーションの収録曲や、全曲カントリー&ウェスタンのサウンドトラックまで出してきた。そして恐らく、彼らのリリースの中でも最も奇妙なのが、Musical Tragedies Records から出た、オールド・スクールのロックンローラー、アリス・クーパーとのスプリット・シングルだろう。

それだけでは物足りないかのように、モーターサイコは、「Roadworks」と冠されたライヴ・アルバムのシリーズも始めた。『Heavy Metall iz a poze, hardt rock iz a laifschteil』という素晴らしいサブ・タイトルが付いた第一集は1999年3月にリリースされ、2000年の終わりにリリースされた第二集『The MotorSource Massacre』は、The Source とDeathprod (ヘルゲ・ステン)と共演した1995年のコングスベルグ・ジャズ・フェスティヴァルの実況録音である。

2000年は、アルバム『Let Them Eat Cake』がノルウェーのチャートで1位に上りつめ、ドイツでもチャートインするなど、モーターサイコとスティックマン・レコードにとっても初の快挙を成し遂げた。続く2001年の『ファナロタイム』のリリースでも、ノルウェーでは初登場1位となり、再びドイツでもチャート入りを果たし、前作よりもさらに高い位置につけた。

2002年も上向きの螺旋に沿って進んでいった。2回のツアーと9月にリリースされたアルバム『イッツ・ア・ラブ・カルト』の成功--ヨーロッパ4ヶ国でチャート入りを果たし、日本でもライセンスされた。アメリカも遂にモーターサイコに注意を払い始めたことは、2002年10月の短い東海岸ツアーの実現でも証明された。

2003年と2004年は、モーターサイコにとって「休息」期間とでも言えそうなものだった。この間に、『Timothy’s Monster』のLPヴァージョンのボックス・セットや超レア化していた『Tussler』サウンドトラック(もちろんボーナス・トラック付き)といった入手困難な昔の音源の再リリースが行われた。さらに2004年、バンドは「インターナショナル・タスラー・ソサエティ」の他のメンバーに加わってノルウェーで何度か公演を行い、DVD付きのアルバムもリリースした。このさほどおとなしいとも言えない「休息」の間に、彼らは Konkurrent(ヨーロッパ)と Touch and Go(アメリカ)から出ているシリーズ「In The Fishtank」のために、モーターサイコとジャガ・ジャジストのホーン・セクションによるセッション音源もリリースした。彼らにとって初めてとなった日本ツアーのことも忘れてはいけない!

2005年には悲しいニュースもあった。長い間ドラマーだったゲッハルトが、自身の無数にある他の音楽プロジェクトに集中するため、バンドを脱退したのだ。しかし、ベントとシュナーは揺るぎない意志を保ってオランダのスタジオ「The Void」で新曲に取り組み、遂に2枚組の大作『ブラック・ホール/ブランク・カンヴァス』を完成させた。

トロンハイムの家にいるときには、モーターサイコのメンバーは1週間に6日、1日に少なくとも4時間は練習する。家を留守にしている時には、スタジオにいるか、あるいはツアーに出て、この銀河系のどこかで、クラブを満杯にして最大のヴォリュームで演奏していることだろう。

バンドに関する情報、ほとんどコンプリートなディスコグラフィー、写真、歌詞、ギター・タブ、ゴシップなどなどは以下の非公式ホームページで見ることができる。

*非公式ページ、膨大な情報量です

http://motorpsycho.fix.no

*日本語ファンページ

http://www.madsun.com

Releases