ジャンル: ROCKアーティスト情報
spindles
2008.09.10
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96年、Guitar&Vocalのフジタ サトシとBassのミチルが中心に大阪でバンドを結成。
98年10月、スマイルレコードのV.A「good Vibes」に2曲参加。
99年になりDrumのリョウ-K加入。10月、MAJESTIC SOUND @ THE NEATBEATS より 7inch single「ヤングビート」発表。
そして2001年11月 DECKRECより 1st マキシシングル「クローバー」発売。翌年1月に1st Album「ALL ABOUT THE SPINDLES~スピンドルスのすべて~」発売。
2003年8月に2nd Album「SPINDLES IN BEAT POPS」を発売し、同時に1st Video「スピンドルスの素顔」発売。
2004年6月の渋谷CLUB QUATTROでのライブを最後にbassのミチル脱退。
2006、サポートベーシストに鈴木“バイチ”雅博を迎え、水面下にて活動を再開。
2007“第二期”ザ・スピンドルスとしての活動をスタート!!
Guitar & Vocal:フジタ☆サトシ
1974.2.23生 / A型
Drums:リョウ-K
1973.10.4生 / A型
Bass(サポート):鈴木雅博(バイチ)
1980.1.27生 / B型 / 山形県山家町出身
THE FUMES
2008.09.10
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隠れたブルース大国オーストラリアから2004年に突如出現した、ギターのスティーヴ・メリーとドラムのジョエル・バターズビーのガレージ・ブルース・デュオ。伝統的なブルースの香りをたっぷりと漂わせつつも、若いロック・ファンの心をも鷲掴みにする切れの良い爆音リフとパワフルなドラミングが魅力。本国では、埋まらない会場はないというほどの圧倒的なライヴ・パフォーマンスでブルース・ファンのみならず、ロック・ファンを虜にしている。その上、雑誌のライヴ情報欄からその名が消えたことがないというほど、ライヴの本数も圧巻。 2005年には、名誉あるMusic Oz Awards(オーストラリア版Plug Awardsのような、インディーズ音楽の最高峰賞)でBlues Artist Of The Yearに選ばれ、そこでのパフォーマンスが全国放送され、さらなる話題となる。 Falls Festival、East Coast Blues & Roots Festivalなど、数多くの大型フェスで熱きグルーヴを磨いた後、デビュー・アルバム『ガンズ・オブ・ゴールド』を2006年7月に発表。ジャンルを越えたオール・ディストリビューション・チャートでトップ20入りを果たす。素晴らしいハード・ロックと、心地良いルーツ・ミュージックが同じくらい盛んなオーストラリアだからこそ産まれたこの熱いハイブリッド・サウンドは、心にガツン!と響く説明不要のかっこよさ。 The Beautiful GirlsやThe Vasco Eraといった本国の大物バンドだけでなく、数多くの海外バンドのサポートも務めてきた経験もあって、その楽曲も実にヴァラエティに富んでいる。骨太なブルース・ロックから、オーガニックなアコースティック・ナンバーまで、全くファン層を限定しない、強烈グルーヴがいよいよ日本に初上陸!
DEERHOOF
2008.09.10
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【ディアフーフ バイオグラフィ】
ディアフーフは1994年3月、サンフランシスコでグレッグ・ソーニア(ドラムス&ヴォーカル)とロブ・フィスク(ベース&ヴォーカル)によって結成された。キル・ロック・スターズの設立者、スリム・ムーンは、1995年にオリンピアで行われたYOYO-A-GOGOフェスティヴァルで彼らのライヴを見て、ファースト・シングルとなる『Return of the Wood M’lady』をリリースすることに決めた。1996年4月、日本からアメリカに着いて1 週間も経たない頃に、サトミ・マツザキがこのシングルを耳にした。それまで楽器の演奏経験のなかった彼女は、その2週間後にはヴォーカリストとしてバンドに加入し、ツアーに出ていた。1997年にロブがサンフランシスコを去ると、後に残されたサトミとグレッグはディアフーフの最初のCD『The Man, the King, the Girl』を完成させ、これは同年、キル・ロック・スターズ(KRS)と、ムーンの新レーベルである 5 Rue Christine(5RC)によって共同リリースされた。1998年にはサトミはベースを弾きはじめており、ロブが戻ってギタリストとして再加入し、同時にケリー・グッド(キーボード)も加わった。再びKRS/5RC からのリリースとなる1999年の『Holdypaws』を録音後、ロブとケリーが脱退し、ちょうどその頃ミネアポリスからベイエリアに移って来た(元Colossamite の)ジョン・ディートリックがギターで加わった。2000年にこの新しい編成でコンサートをレコーディングした後、ディアフーフは、オーストラリアのレーベル Dual Plover から、過去のその他のライヴ音源も含む『Koalamagic』をリリースした。当時から4年遡ってロブとグレッグの間で構想がはじまっていた音楽を収めたアルバム『Halfbird』は2001年に完成され、同年 Menlo Park からリリースされた。
2000年から2001年の間に、サトミとジョンとグレッグは、新編成での最初のスタジオ・アルバムとなる『Reveille』のレコーディングも行い、これは2002年にKRS/5RC からリリースされた。2001年の12月には、親しくなった別の地元バンド、The Curtains のギタリストであるクリス・コーエンがディアフーフに加入した。2002年の終わりに彼らは『アップル・オー』を録音し、2003年3月にKRS/5RC から発表した(日本盤は同年5月にP ヴァインから)。それからきっかり1 年後となる翌2004年3月に早くも『ミルク・マン』をリリース。SPIN 誌で「完璧なアルバム」と評されるなど、各方面で絶賛を浴びた。2005年3月には初の日本語歌詞によるEP『緑のコズモ(Green Cosmos)』、さらに同年10月にはアルバム『ザ・ランナーズ・フォー』を相次いでリリースし、その旺盛な制作意欲と尽きることのない音楽的アイデアの豊富さを見せつけた。2006年5月、The Curtains での活動に専念するため、クリス・コーエンが脱退。トリオ編成で『フレンド・オポチュニティ』を完成させ、2006年12月(欧米では2007年1月)にリリース。2007年7月には初のフジ・ロック・フェスティヴァル出演。2008年2月、新ギタリストのエド・ロドリゲスが加入、再び4人編成となり、同年10月にアルバム『オフェンド・マギー』を発表。
【ディアフーフ 年表】
1994 年3 月 グレッグ・ソーニアとロブ・フィスクにより結成。
1995 年3 月 最初の7 インチ『Return of the Wood M’lady』をキル・ロック・スターズからリリース。
1995 年5 月 バンド経験のなかったサトミ・マツザキがディアフーフに加入、1 週間後には最初のツアーに出る。
1997 年11 月 キル・ロック・スターズと5RC に同時に所属する最初でただひとつのバンドになり、最初のフル・アルバム『The Man, the King, the Girl』をリリース。
1998 年2 月 ケリー・グッドが加入。
1999 年7 月 ディアフーフが『Holdypaws』をリリース。
1999 年11 月 ロブとケリーがバンドを去り、ジョン・ディートリックが代わりに加入する。
2001 年7 月 『Halfbird』をリリース。
2001 年12 月 クリス・コーエンが加入。
2002 年3 月 ソニック・ユースに招かれ、ロサンゼルスのオール・トゥモロウズ・パーティーズ(ATP)に出演(その後もUK やUS のATP フェスに数多く出演し、ソニック・ユースとも多くのショウを共にする)。
2002 年6 月 ジョンをフィーチャーした最初のアルバム『レヴェリ』をリリース。
2003年 キル・ロック・スターズでのキャリアが最も長いバンドになる。
2003 年3 月 クリスをフィーチャーした最初のアルバム『アップル・オー』をリリース。
2003 年6 月 フォーク・インプロージョンとのジョイントで初の日本ツアー(東京・名古屋・大阪)。
2003 年11 月 ベックがグレッグに新作でのドラム演奏を依頼するが、スケジュールが合わず実現を阻まれる。
2004 年2 月 カレン・O(ヤーヤーヤーズ)が、ローリング・ストーン誌の2003年度ミュージック・アワードのアーティストが選ぶトップ・アルバム部門で、ディアフーフの『アップル・オー』を選出。
2004 年3 月 『ミルク・マン』をリリース。
2004 年3 月 東京・下北沢ERA でレコード発売記念ライヴ。
2004 年3~4 月 『ミルク・マン』がDUSTED のラジオ・チャートで6 週連続1 位となり、CMJ チャートでも1 位を獲得する。
2004 年5 月 『ミルク・マン』がカリフォルニア・ミュージック・アワードのオルタナティヴ部門でノミネート。
2004 年9 月 7X7 誌から、エディターズ・チョイス・アワードを受賞。
2004 年10 月 盟友54-71 を伴って2 度目の日本ツアー(東京・仙台・松本・名古屋・大阪・京都)。
2004 年10 月 ウィルコのアメリカ・ツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2004 年12 月 SF ウィークリー誌の読者投票で「ベスト・ローカル・ロック・バンド」に選出。
2005 年3 月 日本のトード・レコードより、初の日本語歌詞によるEP『緑のコズモ』をリリース。
2005 年1~7 月 『ザ・ランナーズ・フォー』のレコーディング。
2005 年9 月 ザ・ルーツに招かれ、彼らのホームタウンであるフィラデルフィアで共演。
2005 年10 月 『ザ・ランナーズ・フォー』をリリース。
2006 年2 月 ATP の主宰者、バリー・ホーガンの結婚式で演奏する。
2006 年2~3 月 3 度目の日本ツアー(東京・大阪・京都・福岡・長崎)。
2006 年4 月 サンフランシスコ国際映画祭で、ハリー・スミスの作品に付けたオリジナル・スコアをライヴ演奏。
2006 年4 月 コーチェラ・ヴァリー・フェスティヴァルに出演。
2006 年5 月 ザ・カーテンズでの活動に集中するため、クリス・コーエンがバンドを脱退。
2006 年5 月 フレーミング・リップス、スティーヴン・マルクマス(ex-ペイヴメント)と共演。
2006 年6 月 レディオヘッドのアメリカ西海岸ツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2006 年8 月 レディオヘッドとヨーロッパ3 箇所(エジンバラ・ダブリン・アムステルダム)で再び共演。
2006 年9 月 シアトルのバンバーシュート・フェスティヴァルに出演。
2006 年9 月 フレーミング・リップスのツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2006 年10 月 ファイアリー・ファーナセスとジョイント・ツアー。
2006 年12 月 サーストン・ムーア(ソニック・ユース)がキュレイターをつとめるATP フェスに出演。
2006 年12 月 『フレンド・オポチュニティ』をリリース。
2007 年1 月 4 度目の日本ツアー(w/OOIOO)。
2007 年3 月 デヴィッド・ボウイがキュレイターをつとめるNY のハイライン・フェスに出演。
2007 年7 月 フジ・ロック・フェスティヴァル出演。
2008 年2 月 エド・ロドリゲスが加入。再び4 人編成となる。
2008 年6 月 フィラデルフィアで開催されたザ・ルーツ主宰のフェス「ルーツ・ピクニック」に参加。
2008 年6 月 キル・ロック・スターズ・ショーケースのため来日。初の札幌公演も行う。
2008 年7 月 LA のハリウッド・ボウルにて、ナールズ・バークレー等と共演。
2008 年7 月 eastern youth 編纂によるコンピレーション『極東最前線2』に書き下ろし楽曲を提供。
2008 年8 月 ニュー・ポルノグラファーズ主宰のイヴェント「Stanley Park Singing Exhibition」に出演。
2008 年10 月 『オフェンド・マギー』をリリース。
2009 年1~2 月 5 度目の日本ツアー(東京・名古屋・大阪)。
2010 年2 月 Ogre You Asshole と東名阪対バンツアー。
2010 年11 月 Busdriver をフィーチャリングしたPhysical Forms とのスプリット7 インチをポリヴァイナルからリリース。
2010 年12 月 ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーがキュレイターをつとめるATP フェスに出演。
2011 年1 月 『ディアフーフ vs. イーヴィル』を発表。
1995 年~現在 欧州、日本、イギリス、スカンジナヴィア、カナダ、アメリカ、オーストラリアをツアー。
【Quotes】
大好きなバンドはたくさんいるよ。ディアフーフは素晴らしい。「ディアフーフ(鹿のひづめ)」なんて名前のバンドが良くないはずがないよね。
(2009/12/14 付・タイム誌オンライン「デイヴ・グロールへの10 の質問」より引用・訳)
ディアフーフはバンドが本来やるべきことをやっていると思う。彼らはひとつのことをやるにしても、それを刷新しつづけるんだ。頭をかきむしって「彼らはどうやってこんなことをやってのけたんだろう?」と驚嘆するしかないよ。
(2008/10/3 付・ペースト・マガジン オンライン版のインタビューより引用・訳)
ディアフーフのようなバンドは本当に想像力豊かでエキサイティングだと思う。そこに注ぎ込まれる創造性にはすごく高揚させられるんだ。
(2007/5/7 付・ピッチフォークのインタビューより引用・訳)
私たちは彼ら(ディアフーフ)のセットの終わりの方を見ることができた。屈折した演奏の流儀がとても素晴らしかった。非常に洗練されている。唐突なようでいて完璧にタイミングを合わせた短く突発的な演奏を繰り出すドラムとギターには極端なまでの厳格さがある一方、ヴォーカリストのサトミ・マツザキは穏やかな声で歌う。彼らの歌詞は、典型的なロックの歌詞とは何の関係もない(私には「Air」(*) のような曲の韻を踏まない歌詞とのリンクを見て取ることもできるけれど)。ヴォーカル・メロディもやはり独特だ。私は自分がディアフーフに影響を与えているなんて言おうとしているわけではない。もしそうなのだとしたら嬉しいことだけれど。「Air」のような曲は、繋がった鎖のひとつの輪、もしくは小さな川に落ちたしずくのようなもので、いつもと違った、わずかに変化させた角度から音楽や作詞にアプローチしている先例なのだ。彼らの音楽的な構造のひとつとして偶発的なものではないということを強調するかのように、彼らの物販テーブルでは、おなじみのT シャツとCD ばかりではなく、楽譜も売っている。
(2008/10/15 付・公式ブログより引用・訳)
*「Air」:トーキング・ヘッズの1979 年作『フィア・オブ・ミュージック』の収録曲。
The Apples in Stereo
2008.09.10
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前作から5年を経て、久々にリリースされる正真正銘!5枚目のフル・アルバム”New Magnetic Wonder”がいよいよ登場!!
リーダーである、ロバート・シュナイダーが長年拠点にしてきたレーベルSpin artから、アメリカ、テキサスで毎年行われている世界的な音楽見本市SXSWでハリウッド・アクターのイライジャ・ウッド(ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語の主人公“フロド・バギンズ”役を演じ、一役、時の人となりトップ・アクター入りしたのも記憶に新しい)との運命的な出会いをきっかけに、イライジャ・ウッド主宰による新レーベル“Simian Records”に移籍。
新たな方向性を求めていたアップルズと、自身の求める音楽を再現出来るアーティストを探し求めていたイライジャ・ウッドとが偶然から出会い、このアルバムのプロジェクトがスタートした。
エンジニアにBryce Goggin (Pavement, Sebadoh, Phish, Sean Lennon)を迎え、ロバートお気に入りのヴィンテージの楽器や機材をふんだんに使用しながらの、とてもリラックスしたレコーディングだった模様。ニューヨークやケンタッキーなどを行き来し、十二ヶ月の期間を要し、もちろんロバートが影響を受けリスペクトし続けているビーチボーイズを意識した、完璧なサウンド・コントールも施され、レコーディングに使用したコンピューターがあまりのデータの多さに、何回もクラッシュするなど、彼等の作品の中で最も緻密で完成度が高い一枚に仕上がっている。
そして前作からの5年間の間に、長年ドラマーを務めていたHilarie SidneyもThe High Water Marksというバンドを率いて活動を始めるなど、メンバー自体の変動もあり、ロバートも心機一転!
新しいバンドに取り組むかの様なフレッシュな気持ちで、音源はもとより、ライブもかなり若々しく激しいものとなっている。
The Whigs
2008.09.10
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パーカー・ギスパート(vo, g)
ジュリアン・ドリオ(dr)
ティム・ディオー(b)
競合激しいアメリカのジョージア州アセンズ(REM、B-52sなどを排出)から登場し、今やアメリカ全土のロック・ファンの心を掴みつつある、超話題の新人、ザ・ウィッグス。2005年に学生時代に自主制作でリリースした「Give ‘Em All A Big Fat Lip」が口コミだけで全米に広がり、名誉あるローリング・ストーン誌の「今年要注目の10バンド」に選出、ニューヨーク・タイムズの「ベスト・アンサインド・バンド」にも選ばれるなど、凄まじい勢いでアメリカ・ロックの注目株へと一気に成長。ほぼ休み無くツアーを続け、フランツ・フェルディナンド、ザ・キラーズやザ・フューチャーヘッズといった名立たるバンドとの共演も重ね、ロック界屈指のライブ・バンドとしても評価をされるようになる。その勢いをそのままスタジオに持ち込み、ベックなどを手掛けるロブ・シュナップと共に「Mission Control」を制作、2008年頭にリリース。その後は全国区の人気テレビ番組に連日出演、ビルボードのオルタナ新人チャートで4位獲得、SXSWではマイ・モーニング・ジャケットとヨ・ラ・テンゴなどと競演するなど、その注目は拡大するばかりである。
初期のフー・ファイターズや、往年のザ・フーやザ・リプレイスメンツのロック魂、ザ・ビートルズやエルヴィス・コステロなどのメロディーセンスに例えられ、そのパワフルでパンチ力のある演奏と素直でピュアなボーカルの融合は、正にロックンロールの醍醐味を抽出したようなサウンド。日本盤にはラモーンズの名曲を含む2曲の鬼かっこいいカバーを追加収録!
STARS
2008.09.10
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ロマンティックな男女ツイン・ヴォーカルでカナダの音楽シーンを盟友のブロークン・ソーシャル・シーンと共に牽引してきたバンド、スターズ。
トロント出身のトーキル・キャンベルとクリス・セリグマンにより90年代末にニューヨークのブルックリンで結成。2000年春にファースト・アルバム『Nightsongs』を完成させ、2001年にミシガンのレーベル Le Grand Magistery からリリース。それと前後して、同じくトロント出身のエヴァン・クランリーとエイミー・ミランが加入し、モントリオールに移住。新しいメンバーと環境の下で録音したEP『Comeback』を発表する。2003年には、トロントのレーベル、Paper Bag からセカンド・アルバム『Heart』をリリース。
aie
2008.09.10
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Vo/Gt 大屋努/Tsutomu Ooya
Gt/Key 海老原勉/Tsutomu Ebihara
Gt/Cho 堀崎泰央/Yasuhiro Horisaki
Bass 中道孝治/Kouji Nakamichi
Drum 伊藤将吾/Shougo Itou
千葉県柏市、様々なジャンルの人間が集い、混在する街。2005 年、この街でほぼ同時期に2つのバンドが姿を消した。楽曲の壮大さから”天空を駈ける系”と評されたハードコアバンドfactor 2 grace(G 堀崎、Ba 中道、G/Key 海老原、Dr伊藤が所属)と、抜群のメロディーセンスを誇るエモーショナルロックバンドunderdrive(Vo/G 大屋が所属)。たくさんのファン、仲間達から惜しまれつつ姿を消した彼らは2006 年、aie(藍絵)を結成し再び動き始める。「藍絵」とは藍色という一色のみだけの濃淡で絵を表現する手法。様々な音楽表現を行なっても、芯にある色は変わらないバンドでいたいという意思からこの名が付けられた。それぞれの前身バンドのカラーを踏襲しつつも、様々なジャンルを貪欲に消化吸収し現在も日々成長し、肥大し続けている。
aie公式BLOG
『Aie You Experienced ? ACID IMMORTAL ECHO』
http://aieaieaieaie.jugem.jp/
XIU XIU
2008.09.10
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ジェイミー・スチュワートを中心とした不定形ユニットとして2000年に始動。その音楽性はポスト・パンクからアヴァン・フォーク、ノイズまでを横断しながら、カテゴライズ不能な魅力を放っている。2003年秋に初来日。ソロでギターの弾き語りという簡素なスタイルにも関わらず、濃密きわまりないパフォーマンスで強烈な印象を残した。 3rdアルバム『Fabulous Muscles』(2004)リリース後のツアーからはスチュワートの従妹であるキャラリー・マッケルロイが参加し。5thアルバム『The Air Force』(2006)はプロデュースにディアフーフのグレッグ・ソーニアを迎え、以前よりも輪郭のはっきりした精緻なサウンドを作り上げて新境地を開拓した。その後、ソーニアやヘラのザック・ヒルにも匹敵する西海岸きっての異能ドラマー、チェズ・スミスとベーシストのデヴィン・ホフも正式加入。再びソーニアがミックスと共同プロデュースを担当し、ジョン・ディートリック(ディアフーフ)やマイケル・ジラ(スワンズ、エンジェルズ・オブ・ライト)も参加したアルバム『ウィメン・アズ・ラヴァーズ』を2008年2月にリリース。