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【ラダック洪水被害現地レポート】文・写真 山本高樹
2010.08.23 MEDIA INFO

『ラダック洪水被害現地レポート / 文・写真 山本高樹』

2007年から2008年にかけての約一年半、僕はインド北部の山岳地帯、ラダック地方という場所に滞在していた。そして、厳しくも美しい自然の中で心穏やかに暮らす人々と過ごした日々のことを、「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」という本に書いた。

あれから二年。2010年の夏、僕はひさしぶりにラダックを訪れて、懐かしい人々との再会を愉しんでいた。夏の観光シーズンを迎えたラダックの中心地レーは大勢の外国人観光客でにぎわっていて、旅行代理店もレストランもゲストハウスも、てんてこまいの大忙しのように見えた。

そんなある日、突然の災厄がラダックに降りかかった。

8月5日深夜にラダックを襲った集中豪雨は、各地で洪水や土砂崩れを引き起こし、甚大な被害をもたらした。8月20日時点で、今回の洪水被害による死者は205人(うち外国人旅行者は6人)、負傷者は607人、行方不明者は約400人、被害を受けた家屋は945戸に上る。救助活動中のインド軍兵士も被害に遭い、死者は23人、負傷者は41人、行方不明は12人となっている。

ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた、平均標高3500メートルに達する山岳地帯のラダックでは、一年を通じてほとんど雨は降らない。山には木々が生えておらず、荒々しい岩肌がむき出しになっている。そのため、今回のような極端な集中豪雨が降ると、雨水が山から一気に河川に流れ込み、洪水を引き起こす危険性がある。しかし、現地のラダック人に話を聞いても、長い歴史の中で、これほど大規模な洪水が起きた例は聞いたことがないという。二日前から断続的に降り続いていた雨で地盤が緩んでいたのも、被害の拡大に拍車をかけた。

洪水が発生した当時、僕はカルナクと呼ばれる山岳地帯にトレッキングに出かけていた。テントで幕営中に雹混じりの猛烈な雷雨に見舞われたり、増水して濁流と化した川を腰まで浸かって渡渉したりしながらもどうにか乗り切り、寸断された道路でヒッチハイクを繰り返して、一週間後、ようやくレーの町に戻ってくることができた。

洪水の被害を受けたレーのメインバススタンド周辺は、まるで爆撃を受けたかのような状態だった。突然押し寄せた土砂によって、数多くの商店をはじめ、電話局やラジオ局などが完全に破壊され、その下手にあったソナム・ノルブー病院も、半分泥に埋まってしまっていた。町の道路には至るところに乾いた泥がこびりつき、車が通り過ぎるたび、もうもうと白い土埃が舞い上がっていた。

もっとも被害が大きかったレー近郊のチョグラムサルという町を訪れた時、そのあまりの凄惨さに、僕は絶句してしまった。町の北東から流れ落ちてきた大量の岩や土砂は、町を斜めに横切りながら、行く手にあるものすべてをなぎ倒し、ことごとく無に帰してしまっていた。崩れ落ちた壁、ひしゃげた屋根、泥に埋もれた扉や窓……。車やトラックが、まるで踏み潰された空き缶のようにぺしゃんこになってしまっている。洪水発生直後、この一帯には泥に半分埋もれた遺体が累々と横たわっていたそうだ。そして、400人もの行方不明者が、今もこの泥の下に埋もれているかもしれないという。

瓦礫の山と化した家の前でしゃがみ込む人々の傍らでカメラのシャッターを切りながら、僕はどうにもいたたまれない、やりきれない思いに苛まれていた。どうしてこんなことになってしまったのだろう?こんな悲しい写真を撮るために、僕はラダックに戻ってきたのだろうか?

でも、ラダックの人々にとってもっとも困難な時期に、自分が居合わせているというのも、何かの巡り合わせなのかもしれない。目の前の悲しい現実を見届けて、それを写真や文章によって一人でも多くの人に伝えること。それもまた自分の役割なのではないか……。僕はそう思うようになった。

行方不明者の捜索は、インド軍を中心に今も毎日続けられている。10月も半ばを過ぎれば、ラダックには冬が訪れる。救援物資や建築資材を運び込む陸路は雪で塞がれ、家や畑を失った人々は、マイナス20度の寒さに耐えながら、長く厳しい冬を過ごさなければならない。彼らに対して、少しでも早く、的確で、そして継続的な支援が必要になる。

現在、日本のNGOジュレーラダックが、洪水被害復興支援の義援金の募集を始めている。ジュレーラダックは日本在住のラダック人の方が代表を務めるNGOで、現地スタッフがいるほか、ラダックの人々との人脈も豊富なため、今のところ、この義援金が日本からもっとも効果的に支援することのできる方法だと思う。

『NGO JULAY LADAKH』
http://julayladakh.org/kinkyubokin.html

被災地の復興には、あと数年はかかるのではないかと言われている。一人でも多くの人の支援によって、ラダックの人々が再び笑顔になれる日が一日でも早く来ることを、僕は願っている。

【レーバススタント周辺】

【張り出された新聞記事に見入る人々】

【チョグラムサル】