ジャンル: ROCKアーティスト情報

TED LEO AND THE PHARMACISTS
2008.09.10

90年代に一世を風靡したワシントンDCのモッド・パンク・バンド、チゼルのリーダーであったテッド・レオは、バンドの解散後、1999年にファーマシスツ名義での最初のアルバムを発表。

以来、ベーシストのデイヴ・ラーナーとドラマーのクリス・ウィルソンを固定メンバーとして、これまでに4枚のフル・アルバムをリリースしてきたが、精力的なツアー活動と熱気に満ちたライヴ・パフォーマンスによってインディーロック層にとどまらない幅広い支持を得る。

2006年にはアメリカ最大のロックフェスのひとつ、コーチェラに出演。2003年には初来日を果たして全国数箇所を公演し、東京ではビート・クルセイダーズとも共演、ヒダカトオルやハスキング・ビーのメンバーにも絶賛されている。

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SUFJAN STEVENS
2008.09.10

ミシガン州デトロイト生まれ。若くして独学で音楽家を志し、大学生の頃には、オーボエ、リコーダー、バンジョー、ギター、ヴィブラフォン、ベース、ドラム、ピアノ、さらに枚挙に暇がないほど多くの楽器の演奏に精通していた。2003 年、出身州をテーマとしたアルバム『ミシガン』が世界中で反響を呼び、エリオット・スミス以来の驚嘆すべき才能と騒がれる。2005 年には、アメリカ50 州のそれぞれのためにアルバムを作るという壮大なプロジェクト「The 50 States」の第二弾となる『イリノイ』を発表。語り手としての俯瞰的な視点とディテールへのこだわり、哀愁とユーモア、緻密なソングライティング/アレンジの手腕を遺憾なく発揮したユニーク極まりない作品性が高く評価され、セールス面でも大きな成功を収める。さらに2006 年、『イリノイ』のアウトテイク集『ジ・アヴァランチ』とCD5枚組の『Songs for Christmas』を相次いでリリース。2009 年には、ブルックリンのオペラハウス、BAM(Brooklyn Academy of Music)から委嘱されたコンポジション/映像作品「The BQE」(ブルックリンとクイーンズを結ぶハイウェイ、BQE をテーマにしたもの)をもとに、自身が新たに編曲・録音・ミックスを手がけ、映像にも再編集を施したCD/DVD2 枚組を発表するなど、決まり事にとらわれない自由奔放な創作活動を続けている。批評家たちのみならず、同業のミュージシャンの間でも一種のアイコン的な存在となり(スノウ・パトロールのヒット・シングル「ハンズ・オープン」にも実名で登場)、『リトル・ミス・サンシャイン』や『O.C.』をはじめとした映画やTV ドラマでもその音楽が頻繁に使われている。自身のレーベル、Asthmatic Kitty 所属のアーティストをはじめ、ダニエルソン・ファミリー、ザ・ナショナル、クレア&ザ・リーズンズなど、他アーティストの作品への参加も多い。

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IRON&WINE
2008.09.10

サム・ビームはフロリダ州マイアミに住んでおり、アイアン&ワインという名前で音楽を作っている。

彼は2人の娘の父親であり、地元の大学で映画について教えている。 2

002年9月には、彼のデビュー・アルバム『The Creek Drank the Cradle(小川が揺りかごを飲んだ)』がリリースされた。

そのレコードは、静謐で洗練され、親密でメロディアスであり、その飾らない率直さと深みによって多くのファンを得た、言うなれば内緒の宝物のようなものだった

(エンターテインメント・ウィークリー:「よりによってマイアミに拠点を置いているビームは、甘美な悔恨の囁きの風船を、トランスを引き起こすような荒っぽいストリングアレンジの上に飛ばして、自分の心も引っ張りながらどこかへ漂っていくのを見ている」/ザ・オニオン:「美しく軽やかなポップにも暗鬱なバラードにも確かな才能を見せるビームは、これらの曲に聴く者を捉えて離さない美しさと輝くようなメロディーをもたらし、とても感動的で、しかも聴きやすいものにしている」)。

デビュー作のバイオグラフィにおいても、(多分、そのバイオグラフィによって始まり、無意識のうちに実現されつつあった予言としての)発売後の媒体からの反響においても、その大部分の焦点は次の2つの事実にしぼられていた:サム・ビームはマイアミに住んでいるということ、そして、彼の音楽の大部分が宅録であるということ。これは何らかの興味深い文脈をもたらすが、あくまで文脈であるにすぎない。

簡単な説明をすれば、サムは温暖な気候が好きで、4トラック・レコーダーのある場所が彼の自宅だった(そこは彼の家族がいる場所でもある)というだけの話だ。

2003年9月、サブ・ポップは、『The Creek Drank the Cradle』と同時期の録音から選ばれた曲から成る『The Sea and The Rhythm』というタイトルの5曲入りEPをリリースした。

これらの曲の底に新しい楽観主義が流れていると見て取る者もいた(ピッチフォーク「ビームは震えるような期待と恍惚とした奔放と淡々とした悔悛を押し出している」)。

本作とデビュー作の合間に、ビームはかなりの時間をツアーに費やし、ソロ(ロージー・トーマス、ラヴ・アズ・ラフターのサム・ジェインとザ・シンズのジェイムズ・マーサーとの弾き語りツアー)でもバンドでも各地を回った。

アイアン&ワインが一緒に演奏やツアーをしたアーティストには、ホロパウ、ブロードキャスト、ザ・シンズ、アグリー・カサノヴァ、ザ・デュセンバリスツ、フルーツ・バッツ等がいる。

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GROUND COMPONENTS
2008.09.10

巷で話題のUKロック勢を軽々と凌駕する圧倒的なパワー。パンク、ソウル、ファンク、レゲエ、ブルース等のエッセンスを咀嚼しながら独自に深化させた強靭かつ柔軟なガレージ・ロック・サウンドでオーストラリアを席巻しているメルボルン出身の4人組。

メンバー:ジョー・マクギガン(ヴォーカル,ギター)、ダラス・パクストン(キーボード)、インドラ・アダムズ(ベース)、サイモン・マクギガン(ドラムス)の4人で2002年に結成。

本国ではティーンエイジ・ファンクラブ、Jマスキス、ミューズ、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、マイ・モーニング・ジャケット等のサポートを経験しており、近年ではビッグ・デイ・アウトをはじめ大規模なフェスにも多数出演。

2007年5月には、オーストラリアでゆらゆら帝国との共演も果たしている。

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GROUP
2008.09.10

トランペット、ソプラノ・サックス、ギター×2、ベース、ドラムから成るインストゥルメンタル・バンド。2001年に内田直之(LITTLE TEMPO、OKI DUB AINU BAND等)の録音&ミックスによる1stアルバム『RECORD』(WEATHER/P-VINE)でデビュー。その後、コンピレーションへの参加や映画音楽への楽曲提供などを経て、2004年に前作と同じく内田直之の録音&ミックスによる2ndアルバム『Before Turning Off the Light』(P-VINE)をリリース。叙情と緊張感が同居したエモーショナルな音楽は、多くのファンを魅了してやまない。現在のメンバーは、タケヒサ(g)、イゲ(g)、イシカワ(b)、テツロウ(ds)、ハンチョー(tp)、ケンジー(ss)の6人。GROUPという名のGROUP。

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spindles
2008.09.10

96年、Guitar&Vocalのフジタ サトシとBassのミチルが中心に大阪でバンドを結成。

98年10月、スマイルレコードのV.A「good Vibes」に2曲参加。

99年になりDrumのリョウ-K加入。10月、MAJESTIC SOUND @ THE NEATBEATS より 7inch single「ヤングビート」発表。

そして2001年11月 DECKRECより 1st マキシシングル「クローバー」発売。翌年1月に1st Album「ALL ABOUT THE SPINDLES~スピンドルスのすべて~」発売。

2003年8月に2nd Album「SPINDLES IN BEAT POPS」を発売し、同時に1st Video「スピンドルスの素顔」発売。

2004年6月の渋谷CLUB QUATTROでのライブを最後にbassのミチル脱退。

2006、サポートベーシストに鈴木“バイチ”雅博を迎え、水面下にて活動を再開。

2007“第二期”ザ・スピンドルスとしての活動をスタート!!

Guitar & Vocal:フジタ☆サトシ

1974.2.23生 / A型

Drums:リョウ-K

1973.10.4生 / A型

Bass(サポート):鈴木雅博(バイチ)

1980.1.27生 / B型 / 山形県山家町出身

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MUDHONEY
2008.09.10

メンバー:

Mark Arm(マーク・アーム): Vocals,guitar

Steve Turner(スティーヴ・ターナー): Guitar, vocals

Guy Maddison(ガイ・マディソン): Bass

Dan Peters(ダン・ピータース): Drums

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THE FUMES
2008.09.10

隠れたブルース大国オーストラリアから2004年に突如出現した、ギターのスティーヴ・メリーとドラムのジョエル・バターズビーのガレージ・ブルース・デュオ。伝統的なブルースの香りをたっぷりと漂わせつつも、若いロック・ファンの心をも鷲掴みにする切れの良い爆音リフとパワフルなドラミングが魅力。本国では、埋まらない会場はないというほどの圧倒的なライヴ・パフォーマンスでブルース・ファンのみならず、ロック・ファンを虜にしている。その上、雑誌のライヴ情報欄からその名が消えたことがないというほど、ライヴの本数も圧巻。 2005年には、名誉あるMusic Oz Awards(オーストラリア版Plug Awardsのような、インディーズ音楽の最高峰賞)でBlues Artist Of The Yearに選ばれ、そこでのパフォーマンスが全国放送され、さらなる話題となる。 Falls Festival、East Coast Blues & Roots Festivalなど、数多くの大型フェスで熱きグルーヴを磨いた後、デビュー・アルバム『ガンズ・オブ・ゴールド』を2006年7月に発表。ジャンルを越えたオール・ディストリビューション・チャートでトップ20入りを果たす。素晴らしいハード・ロックと、心地良いルーツ・ミュージックが同じくらい盛んなオーストラリアだからこそ産まれたこの熱いハイブリッド・サウンドは、心にガツン!と響く説明不要のかっこよさ。 The Beautiful GirlsやThe Vasco Eraといった本国の大物バンドだけでなく、数多くの海外バンドのサポートも務めてきた経験もあって、その楽曲も実にヴァラエティに富んでいる。骨太なブルース・ロックから、オーガニックなアコースティック・ナンバーまで、全くファン層を限定しない、強烈グルーヴがいよいよ日本に初上陸!

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DEERHOOF
2008.09.10

【ディアフーフ バイオグラフィ
ディアフーフは1994年3月、サンフランシスコでグレッグ・ソーニア(ドラムス&ヴォーカル)とロブ・フィスク(ベース&ヴォーカル)によって結成された。キル・ロック・スターズの設立者、スリム・ムーンは、1995年にオリンピアで行われたYOYO-A-GOGOフェスティヴァルで彼らのライヴを見て、ファースト・シングルとなる『Return of the Wood M’lady』をリリースすることに決めた。1996年4月、日本からアメリカに着いて1 週間も経たない頃に、サトミ・マツザキがこのシングルを耳にした。それまで楽器の演奏経験のなかった彼女は、その2週間後にはヴォーカリストとしてバンドに加入し、ツアーに出ていた。1997年にロブがサンフランシスコを去ると、後に残されたサトミとグレッグはディアフーフの最初のCD『The Man, the King, the Girl』を完成させ、これは同年、キル・ロック・スターズ(KRS)と、ムーンの新レーベルである 5 Rue Christine(5RC)によって共同リリースされた。1998年にはサトミはベースを弾きはじめており、ロブが戻ってギタリストとして再加入し、同時にケリー・グッド(キーボード)も加わった。再びKRS/5RC からのリリースとなる1999年の『Holdypaws』を録音後、ロブとケリーが脱退し、ちょうどその頃ミネアポリスからベイエリアに移って来た(元Colossamite の)ジョン・ディートリックがギターで加わった。2000年にこの新しい編成でコンサートをレコーディングした後、ディアフーフは、オーストラリアのレーベル Dual Plover から、過去のその他のライヴ音源も含む『Koalamagic』をリリースした。当時から4年遡ってロブとグレッグの間で構想がはじまっていた音楽を収めたアルバム『Halfbird』は2001年に完成され、同年 Menlo Park からリリースされた。
2000年から2001年の間に、サトミとジョンとグレッグは、新編成での最初のスタジオ・アルバムとなる『Reveille』のレコーディングも行い、これは2002年にKRS/5RC からリリースされた。2001年の12月には、親しくなった別の地元バンド、The Curtains のギタリストであるクリス・コーエンがディアフーフに加入した。2002年の終わりに彼らは『アップル・オー』を録音し、2003年3月にKRS/5RC から発表した(日本盤は同年5月にP ヴァインから)。それからきっかり1 年後となる翌2004年3月に早くも『ミルク・マン』をリリース。SPIN 誌で「完璧なアルバム」と評されるなど、各方面で絶賛を浴びた。2005年3月には初の日本語歌詞によるEP『緑のコズモ(Green Cosmos)』、さらに同年10月にはアルバム『ザ・ランナーズ・フォー』を相次いでリリースし、その旺盛な制作意欲と尽きることのない音楽的アイデアの豊富さを見せつけた。2006年5月、The Curtains での活動に専念するため、クリス・コーエンが脱退。トリオ編成で『フレンド・オポチュニティ』を完成させ、2006年12月(欧米では2007年1月)にリリース。2007年7月には初のフジ・ロック・フェスティヴァル出演。2008年2月、新ギタリストのエド・ロドリゲスが加入、再び4人編成となり、同年10月にアルバム『オフェンド・マギー』を発表。

【ディアフーフ 年表
1994 年3 月 グレッグ・ソーニアとロブ・フィスクにより結成。
1995 年3 月 最初の7 インチ『Return of the Wood M’lady』をキル・ロック・スターズからリリース。
1995 年5 月 バンド経験のなかったサトミ・マツザキがディアフーフに加入、1 週間後には最初のツアーに出る。
1997 年11 月 キル・ロック・スターズと5RC に同時に所属する最初でただひとつのバンドになり、最初のフル・アルバム『The Man, the King, the Girl』をリリース。
1998 年2 月 ケリー・グッドが加入。
1999 年7 月 ディアフーフが『Holdypaws』をリリース。
1999 年11 月 ロブとケリーがバンドを去り、ジョン・ディートリックが代わりに加入する。
2001 年7 月 『Halfbird』をリリース。
2001 年12 月 クリス・コーエンが加入。
2002 年3 月 ソニック・ユースに招かれ、ロサンゼルスのオール・トゥモロウズ・パーティーズ(ATP)に出演(その後もUK やUS のATP フェスに数多く出演し、ソニック・ユースとも多くのショウを共にする)。
2002 年6 月 ジョンをフィーチャーした最初のアルバム『レヴェリ』をリリース。
2003年 キル・ロック・スターズでのキャリアが最も長いバンドになる。
2003 年3 月 クリスをフィーチャーした最初のアルバム『アップル・オー』をリリース。
2003 年6 月 フォーク・インプロージョンとのジョイントで初の日本ツアー(東京・名古屋・大阪)。
2003 年11 月 ベックがグレッグに新作でのドラム演奏を依頼するが、スケジュールが合わず実現を阻まれる。
2004 年2 月 カレン・O(ヤーヤーヤーズ)が、ローリング・ストーン誌の2003年度ミュージック・アワードのアーティストが選ぶトップ・アルバム部門で、ディアフーフの『アップル・オー』を選出。
2004 年3 月 『ミルク・マン』をリリース。
2004 年3 月 東京・下北沢ERA でレコード発売記念ライヴ。
2004 年3~4 月 『ミルク・マン』がDUSTED のラジオ・チャートで6 週連続1 位となり、CMJ チャートでも1 位を獲得する。
2004 年5 月 『ミルク・マン』がカリフォルニア・ミュージック・アワードのオルタナティヴ部門でノミネート。
2004 年9 月 7X7 誌から、エディターズ・チョイス・アワードを受賞。
2004 年10 月 盟友54-71 を伴って2 度目の日本ツアー(東京・仙台・松本・名古屋・大阪・京都)。
2004 年10 月 ウィルコのアメリカ・ツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2004 年12 月 SF ウィークリー誌の読者投票で「ベスト・ローカル・ロック・バンド」に選出。
2005 年3 月 日本のトード・レコードより、初の日本語歌詞によるEP『緑のコズモ』をリリース。
2005 年1~7 月 『ザ・ランナーズ・フォー』のレコーディング。
2005 年9 月 ザ・ルーツに招かれ、彼らのホームタウンであるフィラデルフィアで共演。
2005 年10 月 『ザ・ランナーズ・フォー』をリリース。
2006 年2 月 ATP の主宰者、バリー・ホーガンの結婚式で演奏する。
2006 年2~3 月 3 度目の日本ツアー(東京・大阪・京都・福岡・長崎)。
2006 年4 月 サンフランシスコ国際映画祭で、ハリー・スミスの作品に付けたオリジナル・スコアをライヴ演奏。
2006 年4 月 コーチェラ・ヴァリー・フェスティヴァルに出演。
2006 年5 月 ザ・カーテンズでの活動に集中するため、クリス・コーエンがバンドを脱退。
2006 年5 月 フレーミング・リップス、スティーヴン・マルクマス(ex-ペイヴメント)と共演。
2006 年6 月 レディオヘッドのアメリカ西海岸ツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2006 年8 月 レディオヘッドとヨーロッパ3 箇所(エジンバラ・ダブリン・アムステルダム)で再び共演。
2006 年9 月 シアトルのバンバーシュート・フェスティヴァルに出演。
2006 年9 月 フレーミング・リップスのツアーでオープニング・アクトをつとめる。
2006 年10 月 ファイアリー・ファーナセスとジョイント・ツアー。
2006 年12 月 サーストン・ムーア(ソニック・ユース)がキュレイターをつとめるATP フェスに出演。
2006 年12 月 『フレンド・オポチュニティ』をリリース。
2007 年1 月 4 度目の日本ツアー(w/OOIOO)。
2007 年3 月 デヴィッド・ボウイがキュレイターをつとめるNY のハイライン・フェスに出演。
2007 年7 月 フジ・ロック・フェスティヴァル出演。
2008 年2 月 エド・ロドリゲスが加入。再び4 人編成となる。
2008 年6 月 フィラデルフィアで開催されたザ・ルーツ主宰のフェス「ルーツ・ピクニック」に参加。
2008 年6 月 キル・ロック・スターズ・ショーケースのため来日。初の札幌公演も行う。
2008 年7 月 LA のハリウッド・ボウルにて、ナールズ・バークレー等と共演。
2008 年7 月 eastern youth 編纂によるコンピレーション『極東最前線2』に書き下ろし楽曲を提供。
2008 年8 月 ニュー・ポルノグラファーズ主宰のイヴェント「Stanley Park Singing Exhibition」に出演。
2008 年10 月 『オフェンド・マギー』をリリース。
2009 年1~2 月 5 度目の日本ツアー(東京・名古屋・大阪)。
2010 年2 月 Ogre You Asshole と東名阪対バンツアー。
2010 年11 月 Busdriver をフィーチャリングしたPhysical Forms とのスプリット7 インチをポリヴァイナルからリリース。
2010 年12 月 ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーがキュレイターをつとめるATP フェスに出演。
2011 年1 月 『ディアフーフ vs. イーヴィル』を発表。
1995 年~現在 欧州、日本、イギリス、スカンジナヴィア、カナダ、アメリカ、オーストラリアをツアー。

【Quotes】
大好きなバンドはたくさんいるよ。ディアフーフは素晴らしい。「ディアフーフ(鹿のひづめ)」なんて名前のバンドが良くないはずがないよね。

 ――デイヴ・グロール
(2009/12/14 付・タイム誌オンライン「デイヴ・グロールへの10 の質問」より引用・訳)

ディアフーフはバンドが本来やるべきことをやっていると思う。彼らはひとつのことをやるにしても、それを刷新しつづけるんだ。頭をかきむしって「彼らはどうやってこんなことをやってのけたんだろう?」と驚嘆するしかないよ。

――ヘンリー・ロリンズ
(2008/10/3 付・ペースト・マガジン オンライン版のインタビューより引用・訳)

ディアフーフのようなバンドは本当に想像力豊かでエキサイティングだと思う。そこに注ぎ込まれる創造性にはすごく高揚させられるんだ。

――ジェフ・トゥイーディ
(2007/5/7 付・ピッチフォークのインタビューより引用・訳)

私たちは彼ら(ディアフーフ)のセットの終わりの方を見ることができた。屈折した演奏の流儀がとても素晴らしかった。非常に洗練されている。唐突なようでいて完璧にタイミングを合わせた短く突発的な演奏を繰り出すドラムとギターには極端なまでの厳格さがある一方、ヴォーカリストのサトミ・マツザキは穏やかな声で歌う。彼らの歌詞は、典型的なロックの歌詞とは何の関係もない(私には「Air」(*) のような曲の韻を踏まない歌詞とのリンクを見て取ることもできるけれど)。ヴォーカル・メロディもやはり独特だ。私は自分がディアフーフに影響を与えているなんて言おうとしているわけではない。もしそうなのだとしたら嬉しいことだけれど。「Air」のような曲は、繋がった鎖のひとつの輪、もしくは小さな川に落ちたしずくのようなもので、いつもと違った、わずかに変化させた角度から音楽や作詞にアプローチしている先例なのだ。彼らの音楽的な構造のひとつとして偶発的なものではないということを強調するかのように、彼らの物販テーブルでは、おなじみのT シャツとCD ばかりではなく、楽譜も売っている。

――デヴィッド・バーン
(2008/10/15 付・公式ブログより引用・訳)

*「Air」:トーキング・ヘッズの1979 年作『フィア・オブ・ミュージック』の収録曲。

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The Apples in Stereo
2008.09.10

前作から5年を経て、久々にリリースされる正真正銘!5枚目のフル・アルバム”New Magnetic Wonder”がいよいよ登場!!

リーダーである、ロバート・シュナイダーが長年拠点にしてきたレーベルSpin artから、アメリカ、テキサスで毎年行われている世界的な音楽見本市SXSWでハリウッド・アクターのイライジャ・ウッド(ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語の主人公“フロド・バギンズ”役を演じ、一役、時の人となりトップ・アクター入りしたのも記憶に新しい)との運命的な出会いをきっかけに、イライジャ・ウッド主宰による新レーベル“Simian Records”に移籍。

新たな方向性を求めていたアップルズと、自身の求める音楽を再現出来るアーティストを探し求めていたイライジャ・ウッドとが偶然から出会い、このアルバムのプロジェクトがスタートした。

エンジニアにBryce Goggin (Pavement, Sebadoh, Phish, Sean Lennon)を迎え、ロバートお気に入りのヴィンテージの楽器や機材をふんだんに使用しながらの、とてもリラックスしたレコーディングだった模様。ニューヨークやケンタッキーなどを行き来し、十二ヶ月の期間を要し、もちろんロバートが影響を受けリスペクトし続けているビーチボーイズを意識した、完璧なサウンド・コントールも施され、レコーディングに使用したコンピューターがあまりのデータの多さに、何回もクラッシュするなど、彼等の作品の中で最も緻密で完成度が高い一枚に仕上がっている。

そして前作からの5年間の間に、長年ドラマーを務めていたHilarie SidneyもThe High Water Marksというバンドを率いて活動を始めるなど、メンバー自体の変動もあり、ロバートも心機一転!

新しいバンドに取り組むかの様なフレッシュな気持ちで、音源はもとより、ライブもかなり若々しく激しいものとなっている。

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