ジャンル: R&Bアーティスト情報
THE SOUND OF NEW ORLEANS
2009.11.06
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AL “CAKE” WICHARD SEXTETTE
2009.08.11
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LA LA
2009.07.24
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カリフォルニア州LA出身のチカーナ・シンガー。06年、Myspaceで公開していた彼女の曲“LA LA LA”が話題となり、西海岸を代表するFM局「Power 106」や「Kday」でヘビロテに。その後もGAMEやMack 10、Lil Rob等との共演により注目を集め、Myspaceへのアクセス数は450万回を超え、US「Lowrider Magazine」誌の表紙を飾るまでになる。ここ日本では、先行配信された“Back To Cali”が2週連続着うた(R)1位を達成。絶大なる人気を誇るLAのプロデューサー、FINGAZZが全面プロデュースを手掛けた日本デビュー・アルバム『American Mija』(09年)は、新たなチカーナ・クイーンとしての彼女の魅力が発揮された傑作で、ウエッサイ・シーンを中心に大きな話題となった。
TONE P.
2009.06.04
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テキサス州ヒューストンで生まれ、ニューヨーク、ブルックリンのイースト・フラットブッシュ地区で育ち、10代前半に西海岸へ移住したトーンは今、ロサンゼルスの精鋭たちと活動を共にしている。度重なる転居と生活の変化を経験したことが、彼を今日の青年たらしめている。ヤンキーのストリート仕込みのスマートなペルソナ、南部らしい勤勉さや注意深さ、穏やかさに加え、成熟した男の含蓄、そして、有名なカリのスタイルがトーン・Pを作り上げている。まるでネクスト・ジェイ・Zのように聞こえるかもしれない。だが、トーン・Pはリズム&ブルースの歌声を持ったハスラーなのだ。
「ガキのころはほとんどレゲエばかり聴いている叔父たちに囲まれて育ったんだ……。シズラやケイプルトン、スーパー・キャットとか、当時のジャマイカのオールドスクール・アーティストだね。じつのところ、そのころはR&Bにはまったく興味がなかったんだ。その代わりに、ロスト・ボーイズを聴いていたね。「Renee」って曲が大好きだった。あとはビギーの「One More Chance」、LLクールJの「Round the Way Girl」とかだね。はじめてボーイズIIメンのCDを聴くまではね。そのとき、自分が音が取れることが分かったんだ。音が取れるだけじゃなく、実際に歌えるってこともね!
学校の課外授業でイマニ・ライツ・オブ・パッセージ(Imani Rights of Passage)っていうクワイアに参加して、ウィンゲイトっていう地元の高校で歌うようになると情熱が燃え始めたんだ。友人のカールや自分がソロ・パートを歌った後の観客のリアクションを見て有頂天になったよ。それから、それまで気が付かなかった自分の才能を燃え立たせるいろんな方法を探り続けたんだ。学校の演劇やブルックリン・フェイス教会の少年クワイア、注目を浴びるようなことならなんでもね。ピアノのレッスンも始めたんだけど、正直、自分には向いてなかったね。レッスンがものすごく退屈で、サボりがちになったんだ。でも、同じ授業を取っていたある女の子を見つけて、彼女がいる日だけ行ってたんだ。それも、ぼくがR&Bを追求している理由のひとつだね。ただ単に、どうすればいいのか自分で分かっていたということもあるけど、その歳のころは自分自身をR&Bアーティストとはまったく見なしてなかったね。
今現在は、自分の音楽がほかの誰かのサウンドと似ているとはまったく思っていないんだ。自分が経験してきたことからできていて、それが曲に反映されているから、自分では比較ができないんだよ。それが、ぼくがみんなに聴いてもらいたい自分独自の立ち位置なんだ。多くの人たちが人間関係や女性をどのように見ているか、より深く突き詰めているんだと思う。これは女のひとも同意してくれるだろうけど、女性が昔ほど堅くないのは誰もが認めるところだと思うんだ。男に期待するものはデカい車やイカしたトラック、デカいホイールに宝石、最新のスタイルとかで、「She’s So Cool」って曲で、自分はそういうものを追い求める世間のつばぜり合いとは関係ないって彼女に知らせているんだ。ぼくらはジョーンズと同じぐらいよく見えているから、どこにも行く必要はないってね。ぼくが二人のために実現するってね。
歌詞は女性との出会いや、ぼくに歌うことを強く勧めてくれた親友のクリス・ジャクソンとの日々の暮らしからインスパイアされているね。クリスとぼくは一緒に学校に通っていて、そのときからマブダチなんだ。彼とぼくの音楽に対する興味が、ほかのなによりも共通の合流点になったんだ。彼はエンジニアとしてスヌープ・ドッグと仕事をしていて、間違いなく音楽業界で一番ビッグなプロデューサーになると思うよ。
クリスとぼくが作っている曲はいつもいいレスポンスをもらっていると思うよ。人生を音楽に注ぎ込んでいてリアルだからね。みんな、ぼくらがなにを音楽で作っているのか分かっているし、同感することもできる。彼らも通ってきたことだからね。スピーカーから流れてきて頭を振ることができるだけのシンプルなサウンドにはしたくないんだよ。ぼくらが音楽を作っているのはそういう理由じゃないんだ。ぼくはそれがみんなのソウルに歌いかけるものであってほしいんだ。あふれる涙が顔を零れ落ちてきたり、もう話をすることもないだろうって言っていた昔の恋人が家にいたり、もしくは、通りにいて邪魔になっていたとしても、最高のことをしているって思えるような!
ぼくの音楽がみんなを勇気づけて、みんなの人生に忘れられない瞬間をもたらす仕掛けを生み出してくれることを願っているよ。その曲を聴くといつも、それがまるで昨日のことのようにみんなを解放する瞬間をね。
すべてのものに音があり、みんなの周りの至るところにあり、耳にしているトーン。ぼくはみんなに話しかけることができるゲートウェイになりたいんだ。
I AM TONE !!!!!! 」
RAY MANN THREE
2009.05.21
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オーストラリアはシドニーを中心に活動する三人組。キッド・コンフューシャスというソウル、ヒップホップ、ロックを融合したバンドのリード・ギターを務めていたレイ・ワッセフ(ギター、ボーカル)がバイロン・ルイターズ(ベース)とバート・デナーロ(ドラム)(今はグラント・ゲラシーがドラム担当)を誘って結成。ミニマルなスタイルでソウル、ファンク、ジャズ、そしてロックを融合するバンドを目指し、2008年春にデビューアルバムを発表。精力的に国内を回るに連れ、全国ラジオでも楽曲がヒットし、2009年1月にはシャロン・ジョーンズ&ザ・ダップ・キングスやジェイミー・リデルのサポートにも誘われる。ディアンジェロをこよなく愛し、トリビュート・ライブでは「ヴードゥー」を丸ごと生演奏するといったこともやっている。
「ディアンジェロのセックス・アピールとトム・ウェイツの不屈の精神が融合したバンドこそ、ザ・レイ・マン・スリー。」
「ザ・レイ・マン・スリーはオーストラリアのミニマル・ソウル・ミュージックのトルバドゥールだ。3人のお洒落な男達が、最小限のストロークでジャムし、スケッチし、彼ら独自の世界に生息すると同時に、あなたを招いている…その世界を覗いてみるがいい。
完売となったデビューアルバムを発表した後に、2008年春に30日に及ぶ国内ツアーを決行して以来、ザ・レイ・マン・スリーのダイナミックなライブ・ショウは注目を浴びるようになり、シャロン・ジョーンズ&ザ・ダップ・キングス、ジェイミー・リデル、ロイ・エアーズのような国際的アーティストから、アッシュ・グランワルド、ザ・バンブース、ケイト・ミラー・ヘイキ、ホリー・スロスビーのようなローカル・アーティストまで様々なビッグ・アーティストのサポートアクトに抜擢される。
長い間キッド・コンフューシャスのリード・ギタリストとして活動した後、シンガーソングライターのレイ・ワセフはベーシストのバイロン・ルイターズ、ドラマーのバート・デナロと共にデビュー・アルバム『ザ・レイ・マン・スリー』をリリースした。アルバムはトニー・ブッチェンによるプロデュースの元、3日間でレコーディングされ、ディアンジェロ・アル・グリーン、ザ・ビートルズ、ザ・ルーツを彷彿とさせるような時代を越えた楽曲とソウル、ジャズ、ヒップホップのブレンドが、完璧なまでにバンドの温かみと奥深いサウンドを生み出している。
“アーバン、ネオ・ソウル、ファンク、真の斬新なスピリットに満ちた、溢れんばかりの活気力…ザ・レイ・マン・スリーはあなたをさらに高い領域へと導いてくれるだろう、あなたの魂と知性を、気高くユニークな雲のワルツへと。」
「モダン・ファンクが変形したクラシック・ソウル・ミュージック…この音楽感は一気に大物になるだろう。」
Talib Kweli
2009.04.01
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Sing-O
2009.03.17
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7月15日生 / 岐阜県出身 / O型
シンガー / ソングライター / サウンドプ口デューサー
ピアノを教えていた母の影響で、幼少より音楽が共にある(友である)環境で過ごす。19歳からの2年間をジャズパーで歌い、その後もパリやハワイなど国内外でライブを重ねることで、SOUL・R&B・AORなどの影響を受けた独特のクロスオーバーなスタイル、文字通りの「叩き上げのSOULJを確立する。
2008年には、TV番組「ドリーム力一倶楽部」テーマ曲として「Dream flows」を提供。同時に複数のメジャーレーベルからのオファーを受けることとなるが、自身にてレーベルを立ち上げることを決意。
2009年、レーベル「Jerry Brothers Music(JBM)」を設立。同時にサウンドアレンジャー / キーボーディストHiroya.Tとともにプロデユースユニット「Hi-color」を結成、プロデュースユニットとしての活動も始動する。
2009年2月、JBMからのリリース第1弾としてシングルCD『感肌~Kansyoku~』をリリース。オフィシャルサイトからの通販とライブ会場での販売のみで 2,000枚を売り上げる。全国発売を望む多くの声に応え、5月よりP-Vine Recordsの販売にて全国流通を開始し、またレコチョク先行を先頭に音楽配信をスタート。全ての楽曲がレコチョク「クラブ」チャートにてTOP5を獲得する。現在は、来るべき待望のフルアルバムへ向付、レコーディングとLlVEの日々。
Sam Bostic
2009.03.16
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DARRIUS
2009.02.12
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シアトルのソウル・シンガー・ソングライター、ダリウス・ウィルリッチはソウルとジャズ、そして大都会へのあこがれの感覚的な相互作用をしたたらせる。ルックスと音、今日的な古き良きソウルの感触をもって、あなたのすべての感覚を魅了するに違いない。スティーヴィ・ワンダーにディアンジェロ、ハービー・ハンコックの精神が、ダリウスという音楽のシチュー──スウィート・アーバン・ソウル──に風味を加えている。
鍛錬を積んだジャズ・ピアニストであり、ソウルフルなシンガー、そしてヒップホップに対する愛情を持った知的なソングライターであるダリウス・ウィルリッチは、幅広いスキルから生み出される心地好い音楽を届けてくれる。そのリリックとメッセージは、抑制なく生き、愛するようにあなたを高揚させ、勇気付けてくれる。
ダリウス・ウィルリッチのサウンドは甘くメロディックで、ハーモニー豊かで伝わりやすいものだ。そもそも、スティーヴィ・ワンダーやプリンス、ベイビーフェイスの影響を受けたダリウスは、楽しくカラフルでセクシーなスタイルを丹念に作り上げた。彼は明らかに愛やセックス、ロマンスと人生を十二分に生きるためのサウンドトラックということを一番の重要事項としている。
ジャズ・ピアノの学位と色合いあふれる歌声、そして感受性豊かなソングライティングを備えた彼の楽曲は、あなたを連れ戻すとともに前へと駆り立てる。ダリウスの演奏者、サイドマン、リーダー、プロデューサー、そしてレコーディング・アーティストとしての数年間の経験が、彼に暖かい色とテクスチャーを湛えた、豊かで多様な音のパレットを用いてそのソウルを色づけさせている。含蓄のある考えられた挑発的な歌詞のなかで共鳴している都会的な要素をもって、ダリウスはスウィート・アーバン・ソウルを提示するとともに、さまざまなジャンルをミックスしている。