ジャンル: ROCKアーティスト情報

MOTORPSYCHO
2008.09.10

モーターサイコは1989年10月に、ノルウェーの中西部の湾岸に位置する産業都市、トロンハイムで結成された。最初のラインナップはベント・セーテル(ヴォーカル、ベース)、ハンス・マグヌス「シュナー」リーヤン(ギター、ヴォーカル)とシェル・ルナール「キラー」イェンセン(ドラムス)だった。彼らは、ロンドンでラス・メイヤー映画の3本立を見ているときにバンド名を思いついた。そのうちの2本(『Mudhoney』と『Faster Pussycat』)はすでに他のバンドにとられていたが、『Motorpsycho』だけがまだ残っていたのだ。最初のアルバムは1991年の『Lobotomizer』で、この後、「キラー」が脱退してホーコン・ゲッハルトがドラムスに入り、その後2005年まで続くモーターサイコの中核が出来上がった(すなわち、ベント、シュナー、ホーコンの3人)。しかし、スカンジナヴィアとヨーロッパのそこらじゅうで、彼らの認知度を押し上げ、絶賛を浴びることになったのは、サード・アルバムの『Demon Box』だった。『Demon Box』は獰猛なポップ・ソングや激しくプログレッシヴな主旋律からインダストリアルな戦慄のヴィジョンまであらゆる要素を含んでいた。それはノルウェーのプレスでは年間ベストの呼び声も高く、後に(ノルウェーの)グラミーにまでノミネートされた。

モーターサイコは、ドイツ、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、イタリアなどを精力的にツアーして回り、行く先々でファンを増やしていった。続いてリリースした2枚のEP(『Mountain』と『Another Ugly』)は、それぞれが、モーターサイコのトレードマークともいうべき、驚異的なスタイルの多彩さを見せていた。ロスキレやロウランズといった著名なフェスティヴァルに出演した後、バンドは『Demon Box』に続くアルバム――ノルウェーではEMI/Harvestでリリースされ、世界の他の地域では新たに設立されたスティックマン・レコード(独ハンブルグ)からリリースされた――にとりかかった。その『Timothy’s Monster』には、情熱的なロック、へヴィーなサイケデリア、そしていくつかのスイートで歯切れのよいポップ・ソングが、2時間にもわたって詰まっている。その尋常ならざる長さによって、CD2枚組、フル・カラーのポスター付きLP3枚組ボックスセットの形でリリースされた。

『Timothy’s Monster』を機に、モーターサイコはノルウェーでのリリースをEMIからソニーに切り替えた。そして空恐ろしくなるくらいものすごい量の曲を書き、レコーディングしてきた。彼らに合わせて時計をセットすることだってできる。彼らは毎年のように、1年に1枚のペースでアルバムをリリース(『Trust Us』の場合は2枚組だが)している他、数え切れないほどのシングルや、コンピレーションの収録曲や、全曲カントリー&ウェスタンのサウンドトラックまで出してきた。そして恐らく、彼らのリリースの中でも最も奇妙なのが、Musical Tragedies Records から出た、オールド・スクールのロックンローラー、アリス・クーパーとのスプリット・シングルだろう。

それだけでは物足りないかのように、モーターサイコは、「Roadworks」と冠されたライヴ・アルバムのシリーズも始めた。『Heavy Metall iz a poze, hardt rock iz a laifschteil』という素晴らしいサブ・タイトルが付いた第一集は1999年3月にリリースされ、2000年の終わりにリリースされた第二集『The MotorSource Massacre』は、The Source とDeathprod (ヘルゲ・ステン)と共演した1995年のコングスベルグ・ジャズ・フェスティヴァルの実況録音である。

2000年は、アルバム『Let Them Eat Cake』がノルウェーのチャートで1位に上りつめ、ドイツでもチャートインするなど、モーターサイコとスティックマン・レコードにとっても初の快挙を成し遂げた。続く2001年の『ファナロタイム』のリリースでも、ノルウェーでは初登場1位となり、再びドイツでもチャート入りを果たし、前作よりもさらに高い位置につけた。

2002年も上向きの螺旋に沿って進んでいった。2回のツアーと9月にリリースされたアルバム『イッツ・ア・ラブ・カルト』の成功--ヨーロッパ4ヶ国でチャート入りを果たし、日本でもライセンスされた。アメリカも遂にモーターサイコに注意を払い始めたことは、2002年10月の短い東海岸ツアーの実現でも証明された。

2003年と2004年は、モーターサイコにとって「休息」期間とでも言えそうなものだった。この間に、『Timothy’s Monster』のLPヴァージョンのボックス・セットや超レア化していた『Tussler』サウンドトラック(もちろんボーナス・トラック付き)といった入手困難な昔の音源の再リリースが行われた。さらに2004年、バンドは「インターナショナル・タスラー・ソサエティ」の他のメンバーに加わってノルウェーで何度か公演を行い、DVD付きのアルバムもリリースした。このさほどおとなしいとも言えない「休息」の間に、彼らは Konkurrent(ヨーロッパ)と Touch and Go(アメリカ)から出ているシリーズ「In The Fishtank」のために、モーターサイコとジャガ・ジャジストのホーン・セクションによるセッション音源もリリースした。彼らにとって初めてとなった日本ツアーのことも忘れてはいけない!

2005年には悲しいニュースもあった。長い間ドラマーだったゲッハルトが、自身の無数にある他の音楽プロジェクトに集中するため、バンドを脱退したのだ。しかし、ベントとシュナーは揺るぎない意志を保ってオランダのスタジオ「The Void」で新曲に取り組み、遂に2枚組の大作『ブラック・ホール/ブランク・カンヴァス』を完成させた。

トロンハイムの家にいるときには、モーターサイコのメンバーは1週間に6日、1日に少なくとも4時間は練習する。家を留守にしている時には、スタジオにいるか、あるいはツアーに出て、この銀河系のどこかで、クラブを満杯にして最大のヴォリュームで演奏していることだろう。

バンドに関する情報、ほとんどコンプリートなディスコグラフィー、写真、歌詞、ギター・タブ、ゴシップなどなどは以下の非公式ホームページで見ることができる。

*非公式ページ、膨大な情報量です

http://motorpsycho.fix.no

*日本語ファンページ

http://www.madsun.com

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LOOSE FUR
2008.09.10

ジェフ・トゥイーディ&グレン・コッチェ(ウィルコ)+ジム・オルーク=ルース・ファー

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GHOST
2008.09.10

1984年に東京で結成。結成当初は即興を中心とした実験的な音楽を探究していたが1stアルバム "Ghost" 製作を境に、即興演奏と曲を同等に取り入れた現在のスタイルへ移行した。

Ghostの音楽性のベースには常にアコーステイックギターを中心としたバンドのスタイルが存在しているが、ライブやレコーデイングなど毎回の趣向により、民族楽器・古典楽器などの生楽器が自由にそこに加えられる。それらを用いた演奏には、時には瞑想的であり時には宗教的モチーフさえ感じさせるほどに多層的・重層的ながらどこか素朴な響きを持ったものである。また、楽器構成だけでなく演奏空間にも着目し、廃虚・教会といった場所での活動を実現させている。こうした彼等の活動の全ては、表現の選択肢を拡げてゆこうとする試みであり、音楽を単なる「音」として捉えない姿勢の一つの現れと言えるだろう。

Damon & Naomiをはじめとして、Can, Spiritualized, Echo&The Bunnymen など様々なアーチストから熱いシンパシーを享受してきた希有な存在である。現在7枚のアルバムを米シカゴのDrag Cityより発表しており、本国日本よりもどちらかというと海外での評価が高いグループであったとも言えよう。近年、その活動の拠点は主に海外であった為、国内公演は貴重なライブとなるであろう

馬頭將噐:Vo,Gt,Hardy Gardy

瀧澤大志:Flute,Sax,Thermin,etc

荻野和夫:Piano,Keyboards,Recorder,etc..

栗原道夫:Guiter

立岩潤三:Drums,Tabla,etc…

守屋拓之:Contra Bass,Electric Bass

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CASSETTES WON’T LISTEN
2008.09.10

04年ごろから自室にマイクを持ち込んで録音し始めたMP3を友人達に送ったところ、いつしかGorilla vs. BearやScissorkickといった人気のブログで注目され、デジタルEP『Nobody’s Moving』をリリース。シングル「Cutting Balloons」はネット・ラジオWOXYのチャートのトップを飾った。その後アソビ・セクス、ダーティ・オン・パーパスのようなロック・バンドからEl-P、Mr. Lifといったヒップホップ系まで数多くのリミックスをこなしつつデジタル・インストEP『The Quiet Trial』をリリース。2枚のEPはSPIN誌、NY Pressといったメディアから絶賛され、Myspaceのトップページにフィーチャーされたり、Urb誌の“Next 100 for 2007”に選ばれたりしている。『Small-Time Machine』は彼の初となるフィジカルでのリリースであり、全作詞作曲・プロデュースはジェイソンによるもの。08年のサウス・バイ・サウス・ウェストでも複数のステージをこなした。

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BISHOP ALLEN
2008.09.10

ハーヴァード大在学中にルームメイトだったジャスティン・ライスとクリスチャン・ラダーが卒業後の2003年にボストンで結成。 間もなくブルックリンに活動の拠点を移す。 当初はマルチ・プレイヤーの2人を核とした不定形なユニットだったが、カリー・シミングトン(ドラム)と紅一点ダービー・ノワトカ(キーボード/ヴォーカル)を固定メンバーとしてツアーを行うようになる。 ジャスティンはインディーズ映画の俳優としても有名であり、新世代の旗手のひとりと目される若手監督アンドリュー・ブジャルスキの作品『Mutual Appreciation』に主演して自身の境遇ともダブるようなバンドマンの役に扮している。

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JOHANN JOHANNSSON
2008.09.10

アパラット・オルガン・カルテットやキッチン・モーターズの創設メンバーであり、ヤキ・リーヴェツァイト(カン)、マーク・アーモンド(ソフト・セル)、バリー・アダムソン、パン・ソニックといった様々なアーティストとのコラボレーションでも知られ、あらゆるジャンルの枠を跨ぎ越えて活躍するアイスランドきっての異才アーティスト/プロデューサー、ヨハン・ヨハンソンが最新作となるサード・アルバムで日本初登場!

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ANDREW BIRD
2008.09.10

もともとはヴァイオリン奏者として知られ、90年代にアメリカで絶大な人気を博していたスウィング・バンド、スクイーレル・ナット・ジッパーズのサポートメンバーとしても一時期活動する。

90年代後半から現在に至るまで、コンスタントに作品を発表しつづけており、ボナルーやロラパルーザといった大規模なフェスにも出演、近年は一作ごとに着実に評価と人気を高めている。

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MUM
2008.09.10

シガー・ロスに次いでアイスランドから現れた男女4人から成る驚異のグループ、ムーム。

奔放なエレクトロ・ビーツとアコーディオンやメロディカ、トランペットなど、様々なアコースティック楽器が響きあって織り成される最高のエクスペリメンタル・ポップ・ミュージック。

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SOGYUMO ACACIA BAND
2008.09.10

不思議な親しみを感じさせる「小規模(ソギュモ)アカシアバンド」というバンド名は、彼らの友人であり、日本でも人気を博している韓国のハイセンスなラウンジ系ユニット、クラジクワイ・プロジェクトのヴォーカリスト、ホランの命名によるもの。

ソングライティング、プロダクションからギター演奏までを手がける才人キム・ミンホンとヴォーカルのソン・ウンジにより結成。

ライヴハウスやクラブが密集するソウルのホンデ(弘益大学)周辺を拠点に活動。少ない音数からメロディーが引き立つ静謐で美しいサウンドと緻密な音作りに確かなセンスが光るポップ・ソングの数々を収めた1集(ファースト・アルバム)を2004年にリリースして一躍注目を集める。

2005年に英語詞の曲「So Good Bye」がKBSドラマ『18・29』の挿入歌として使われる。2006年に入って、韓国で最も勢いのあるインディー・レーベル、パステル・ミュージックと契約。

同年3月には、第3回韓国大衆音楽賞で新人賞を受賞。韓国の口伝歌謡や童謡やトロット(いわゆる韓国演歌)の要素を積極的に取り入れつつ、なおもこれまでにない新しいコリアン・ポップスの形を志向した2集(セカンド・アルバム)『唇は月明かり』を9月にリリースし、その名声を確固たるものにする。2006年末のSBS歌謡大典でインディーズ・バンド賞を受賞。ライヴ活動はサポート・メンバーを加えたフル・バンド編成でコンスタントに行っており、フェス出演も多いが、2006年にはソウル、プサンなど5都市を巡る初の全国ツアーが実現している。

韓国で今後が最も期待されているグループのひとつであることは間違いない。

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ERIC ANDERSEN
2008.09.10

1943年ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。

10代の頃からギターを携えて放浪の旅をはじめる。1963年、サンフランシスコのコーヒーハウスでトム・パクストンに見初められて翌年ニューヨークに移り、ボブ・ディランやフィル・オクスらと並んでグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの一員となるが、プロテスト・ソングが主流だった当時に愛や放浪をテーマにした内省的 でロマンティックな作風を貫き、後のシンガー・ソングライター・ブームの先鞭をつける。

1965年、ヴァンガードからデビュー・アルバ ム『Today is the Highway』を発表。その後、レーベルを渡り歩きながらも多くの作品を残し、とりわけ1972年にコロムビアからリリースされた『ブルー・リヴァー』は高い評価を受けるが、続いて制作されたアルバム『Stages』がマスターテープ消失という憂き目に遭う(91年にようやく発見されて日の目を見た)。

80年代にはノルウェーに移住し、その後はアメリカとヨーロッパを往き来しながら活動を継続。90年代には、リック・ダンコ、ヨナス・フィエルとユニットを組み、トリオ名義でのアルバムも2枚発表している。

ケネディ暗殺の1日の出来事を扱った26 分にも及ぶ表題曲を収めた『Beat Avenue』(2003)や、グリニッジ・ヴィレッジへのオマージュ的な『The Street was Always There』(2004)など、近作の充実ぶりも著しい。

1976年に最初の来日を果たして以来、日本とのつながりも深く、2005年の日本ツアーでは全国17箇所で公演を行っている。

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