ジャンル: JAPANESEアーティスト情報

TAIIKU CUTS
2008.09.10

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DOBERMAN
2008.09.10

1998年に結成。2TONE・NEOSKAに影響を強く受けた9人が、新たなSKAシーンを築くべく活動を展開。99年よりライブ活動をスタートさせる。

1999年9月、関西スカシーンの決定版オムニバス『SKA BASH』に参加。収録曲の「DOBERMAN SKA」が大反響を巻き起こし、その存在が注目を集める。

2000年1月、その声援に応え7inchレコード『DOBERMAN SKA』を発売。直後に即完売。

4月、1stミニアルバム『SKA BEFORE SUNRISE』をリリース。当時のスカコア・スカパンクブームに一石を投じ、日本のNEO SKAシーンの幕開けを予感。後に彼らに影響を受けたNEO SKAスタイルのバンドが数多く現れる。その後オムニバス『STEP AND BEAT』、『mo down beat』、『Skankin’ Jammin’』などに意欲的に参加し、あらいとあらゆるスカ好きに支持を受ける。

6月、イギリスのBAD MANNERSと全国を回り、その他にもVOODOO GLOW SKULLS (U.S.A.)やPEACOCKS (Switzerland)などとも共演。また、日本で行われたありとあらゆるスカイベント『SKA BASH』、『SKA UNLIMITED』、『SUMMER OF SKA』、『SKA SUMMIT』など全国津々浦々に参加。スカ好きの間では知らない者はいない存在となる。

また9月にはフランスのスカバンド、SKAR FACEとツアーを周り、彼らのレーベルのオムニバス『SKAMIKAZE』に参加(フランスでのみ発売)。

2001年1月、2ndシングル『月』リリース。DORBERMANならではのNEO SKAサウンドに和の情緒や世界観を見事に融合。この和テイストがヨーロッパのアーティストに受け、後の海外ツアーの切っ掛けとなる。

4月には日本最大級のSKAイベントである『SKA STOCK WEST』に参加し東京スカパラダイスオーケストラやEGO-WRAPPIN’、こだま和文氏らとと共演。

10月の初ワンマンでは心斎橋クラブ・クアトロにて800人を動員。

2002年3月、関西で最大のSKAイベント『KING OF SKA』に参加し東京スカパラダイスオーケストラ、奥田民生と共演。

6月からはシングル『leap for joy』『MOON STRUCK DRUNKER』『GAME』とインディーズでは異例の3ヵ月連続リリースし、初の全国ツアーを成功させる。同年10月にはイギリスから世界に2TONEムーブメントを巻き起こしたあのSPECIALSを招き、2マンツアー『SPECIALS vs DOBERMAN』を決行し大きな話題を呼んだ。

2003年2月、待望の1stアルバム『ザラザラテクスチャー』リリース。レコ発ワンマンツアーを決行!! 東名阪広の4会場すべてを大盛況に終え、その勢いをそのままに初の海外ツアーとなるイタリアツアーへと、その活動を世界に広げている。イタリアでは巨大フェス(ローマでは1万人、ミラノでは5千人を超える人が集まった)に参加し、その存在を強烈に印象づけた。(日本からは他にモンゴル800、BRAHMAN、RUDEBONESが参加)。

帰国後の7月、関西で最大のSKAイベント『KING OF SKA』に2年連続メインアクターとして参加し、東京リキッドルーム、大阪マザーホールの2会場ともに大入り大盛況となる。

8月、アジアのSKAバンドを集めた世界初のアジアンスカコンピレーション『ASIAN SKA FOUNDATION』に日本代表として参加。

11月にはクラブチッタで行われる全国規模で初の2TONE/NEOSKAイベントとなる『Japan Ska Festival "2tone time"』に企画、メインアクターとして参加。

2004年4月、昨年のイタリア・ツアーが話題となったことにより、さらにボリュームUPしたツアーを決行。

日本そして世界に通用する音を持っている彼らのCDは必聴、ライブは必見!!!

【メンバー】

吉田 隆志 (Vocal, Percussion)

GAKI (Saxophone)

GOE (Trumpet)

SWE (Trombone)

Pressure 10 holes (Harmonica, Guitar)

原 賢二 (Piano, Organ, Pianica)

田中 祐輔 (Guitar)

岸川 嘉史 (Bass)

Rhythmsnatcher KOYAMA (Drum)

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nontroppo
2008.09.10

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KAMAYATU HIRISHI
2008.09.10

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SAKAUE HIROSHI
2008.09.10

坂上弘は世界最年長のユル・ラップ!だけではない!!

大正10年8月(1921年)佐賀県生まれ。
満州にて声楽とトランペットを学ぶ。終戦後東京都内でジャズ・トランペッターとして幾多のバンドで活躍。同時に後進の指導にも力をそそぐ。当時の生徒には少年時代の日野皓正もいた。その後一時音楽活動を休止していたが、1995年、自らの交通事故体験を綴ったラップ「交通地獄」を発表。忌野清志郎、横山剣ら、各方面から密かに熱い支持を得る。

“史上最年長ラッパー”、“御長寿B-Boy”としてリスペクトされ、テレビにもしばしば登場。2013年5月TBS「ガチャガチャV6」にて特集で紹介され、見たものは元気付き、KBS福岡放送では、なんと60分のドキュメンタリー特番『千の風になる前に』が組まれ、博多っ子のドギモを抜いた。これが2013年の異常なまでの猛暑の原因?とも噂されている。

Pヴァインからは2005年、かねてよりライブでは評判の尾崎豊永遠のアンセム「卒業」の命唱、話題の定番「交通地獄」そして「愛しのアンヂェラ」「借金地獄」、野坂昭如の名曲「やまと寿歌」などを含むオリジナル・アルバム『交通地獄そして卒業』が、マダム・ギター長見順等の協力により完成。成人病や不快に悩む人々はもちろん、ニートなヤングやヒップなクラバー、世界の露地裏で愛を叫びたがっている若人、嫌煙に苦虫を噛み潰ぶしているサラリーマン、韓流やアベノミクスに乗れない御婦人方等々をスッキリ爽やかな心持ちにする極楽作である。
92歳の翁は一体ナニから「卒業」すると言うのか!?聞けば判る、、、。

また2009年にはメジャーであるビクター・エンタテインメントよりアルバム『千の風になる前に』(Pヴァイン制作)を発売。某有名女性歌手もコーラスで応援。ジャケ制作は湯村フラミンゴ・テリー氏。

生き先を考えると、、、、目の離せないド強力シンガーであることは間違いない。

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PCD-26025 REBUILD
2008.09.10

埃まみれのプライド
弱さのフライド
手遅れだとしても見渡す再度

ジャパニーズ・ヒップホップ・シーンに激震がはしる!
スワンキー・スワイプのメインMC! I-DeA、SEEDAらと共にSCARSの元メンバー!
日本屈指のラッパー BES、満を持してソロ・デビュー!
今、1番ヤバイ ラッパーと業界関係者10人中10人が名前を挙げる男
ジャパニーズ・ヒップホップ・シーンで、もっともアルバムのリリースを切望されている男
日本最高峰! 驚異のリズム感とライミング技術を備え持つ男
ストリートの断片を映し出すドープなリリックを吐き出す男

BES 待望の1stアルバム遂に解禁!

■Guest 漢(MSC) / 麻暴(MSC) / メシアThe Fly(JUSWANNA) / Guinness / ONE-LOW / 仙人掌(MONJU) / STICKY(SCARS) / ILL-PIERROT
■トラック・メーカー Malik / I-DeA / Bach Logic / HardTackle_66(MSC)

 

BES FROM SWANKY SWIPE interview DATE : 2008/12/07

amebreak.ameba.jp_interview_2008_12_000588.html

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A.Y.B. FORCE
2008.09.10

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SAI YOSHIKO
2008.09.10

そのインナーマインドの奥底から湧き出る言葉と歌声は、聞く者を一瞬にして現実から別の次元へと誘う導師の役割を果たす。

懐かしくて、そして少し怖くて、しかし暖かくて、でも宙ぶらりんのような、それでいて心地よくていつまでも耽溺したいような、血の味のする飲み物を注がれているようでいて、生きているのか死んでいるのかすら希薄にさせてくれるような…彼女の歌はまさに魔法の音楽である。

1979年以来の、なんと30年ぶりの新作スタジオ録音アルバム「タクラマカン」がリリース、すでに伝説的な名盤「萬華鏡」「密航」2月15日発売「胎児の夢」「蝶のすむ部屋」が紙ジャケット&限りなく原音に近づけたリマスタリング盤で登場、さらに完全未発表ライブ盤の発売という奇跡中の奇跡が2008年春に起こる!

JOJO広重

あっと言う間に佐井好子さんの詩声で陶酔境させって無数な惑星へ運ばれました。

きっとこういう珍しい旅で恵まれた旅客に変わるようだ。。。

大丈夫と祈っています。。。。

ジム・オルーク(*ジム・オルーク本人から日本語で届きました。)

「ボン・ボヤージュ」のボーカルを耳にした瞬間、その不思議な質感に引き込まれた。

冷たいのか熱いのか、やさしいのか恐ろしいのか、つかみ所の無い歌声。さりげなくビブラートしながら消えてゆく声の余韻に一瞬気が遠くなるような快感を味わった。

ゆらゆら帝国 坂本慎太郎

75年にラジオで耳にして記憶に刻まれた「二十才になれば」。

そのシングル盤を中古盤で見つけて買ったのが十年前。

それから、全作品を聴きました。そして「タクラマカン」

佐井好子は時空を超えています。

ECD

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KEMUI
2008.09.10

1995年スクラッチやラップに影響を受けターンテーブル購入、DJとして1年ほど 腕を磨くが日本語のラップを耳にし衝撃を受け表現スタイルをMCへと変 える、 1996年ラップユニットOBOROを結成し都内を中心に本格的にLive活動を開始、 Dj celory / Dj hazime / Dj martinなどのMIX TAPEへの参加、またデモテープ を配るなどして2001年まで活動する。方向性に迷い1年ほど活動を休止し2003年 1MCとなり再始動、今は無き渋谷 SECOBARの伝説的イベント「TRAFFIC」へMCや DJとしてレギュラー参加、またMSC主催のイベント「HOT POT SPOT」への参加な ど現場復帰を果たす。2004年RUMIのソロアルバム「HELL ME TIGHT」へトラック とラップで参加。2005年漢(MSC)のソロアルバム「導~みちしるべ~」へ「破壊と 再生」で参加。そして2006年には LibraRecord監修のV.A「天秤録音」へDJ KEN(MJP)との合作「WORD OF PAIN」で参加。2007年、約10年になるキャリアの 中で初となるアルバム”BLUE SCREEN”がリリースされた。

Independed Hip-Hop artist KEMUI has been started as a DJ in his career in 1995 ,l he bought turntable afected by scratch and rap style. After one year Japanese Rap changed his work filed most of MC. In 1996, ”OBORO” had been organized as his Rap unit, worked Live action in Tokyo. He worked with many artist such as DJ Celory / DJ Hazime / DJ Martin, tried to make Demo from 1996-2001.But he quit his Rap group because of diffrence there style, he stoped his live action about one year. Then he started his action from 2003 again, performed legendaly event called 「TRAFFIC」 at SECOBAR, 「HOT POT SPOT」 organized MSC as a DJ and MC. He came back perfectly in his new way. In 2004, RUMI’s solo album 「HELL ME TIGHT」 as a produce and Rapper. In 2005, MC KAN solo album "Michishirube" as a produce and Rapper. In 2006, LibraRecord V/A "Tenbin-Rokuonn" worked with DJ KEN(MJP)(title "WORD OF PAIN")In 2007, he released his first album in his 10 year’s career called "BLUE SCREEN".

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