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本年度和モノリイシュー最重要案件、浅井直樹『アバ・ハイジ』(1988)奇跡の再発に伴い本人インタビュー公開!これまで全く詳細が不明だったプライベートギターポップ/メロウサイケデリアの究極的レア盤の真実がついに明かされる!
2019.10.02 MEDIA INFO

本年度和モノリイシュー最重要案件、浅井直樹『アバ・ハイジ』(1988)奇跡の再発に伴い本人インタビュー公開!これまで全く詳細が不明だったプライベートギターポップ/メロウサイケデリアの究極的レア盤の真実がついに明かされる!

左:浅井直樹 右:松澤隆志
(C) 早川巌

1988年の発売当初はほとんど話題にならず時代に埋もれていた本盤。2011年にとある北欧のディガーがブログにレビュー記事をアップしたことを契機に世界中のディガーの間で話題になる中、予てより本盤のリイシューを企図しリサーチを続けていた本企画監修者・柴崎祐二が、様々な人物を介し遂に浅井直樹本人と接触し今回の再発が実現!この奇跡的作品がどのように生まれたのかへ迫る貴重なインタビューをお届けします!

 

―― 生年月日、出身地をお教え下さい。
1968年3月23日生まれです。ブラーのデーモン・アルバーンと同じ生年月日で、世代としてはそんなところになります。生まれてから5歳まで高円寺に居て、そのあと吉祥寺に移り、以来ずっと武蔵野市内を転々としています。

 

―― 少年〜青年時代はどんな音楽を聴いていましたか?
子供の頃は映画音楽が好きで、初めて買ったLPレコードも『遠すぎた橋』っていう戦争映画のサウンドトラックでしたね。小学校の後半から歌モノに目覚めて、ラジオで当時のポップスをよく聴いていました。ゴダイゴとかオフコースのメロディが好きで、あとギタープレイの原点になったのは、さだまさしの弾くアルペジオでしょうか(笑)。言葉と言葉の間でツーンと鳴る1弦の響きがいいなって。その頃から歌と絡み合うようなギターが好きでした。
 中学に入ってからギターを始めて、洋楽もきちんと聴くようになって、これは当然後追いなのですが、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、ザ・フーっていう順番でハマっていきました。それから60年代のサイケデリック・ロックを意識して掘り下げるようになって、特にシド・バレットのコード進行には影響を受けましたね。あとは当時リアルタイムで話題になっていた80年代UK、中でもドゥルッティ・コラムやエコー&ザ・バニーメン、ジュリアン・コープあたりが好きでした。
 大学生になってからは、ブリジット・フォンテーヌみたいなフレンチ・ポップスも好きになりました。セルジュ・ゲーンズブールの作るメロディは今でも理想になっています。そういえば僕、大学生の時にジェーン・バーキンの来日公演があって、その時に作ったばかりの『アバ・ハイジ』のレコードと、つたないフランス語で書いたファンレターをステージ上のジェーン・バーキンに手渡したことがあるんです。図々しいにも程がありますよね(笑)。

 

―― 音楽活動を始めるきっかけは?
中学3年生の時に友だちと初めてバンドをやって、あの時は確かストーンズのコピーとかをやっていたんですけど、学校ではエレキ禁止のところを先生に頼み込んで文化祭で演奏させてもらいました。それ以来、何かしらの形で音楽活動は続けています。

 

―― 作曲はいつから、どのように始められたのでしょうか?
中学1年の頃からギターを始めているんですけど、もともと自己流でなんでもやっちゃうのが好きなので、コードをいくつか覚えるとそれを組み合わせてオリジナルもどきは作っていました。あれ、このメロディ、オリジナルってことでいいんだよね、みたいに思いながら。きちんとオリジナルを作るんだって意識してやり出したのは、高校生になってからくらいかな。

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―― 『アバ・ハイジ』の制作はどのような経緯で開始されたのでしょうか?
2~3年の間にオリジナル曲が溜まっていって、カセットテープのMTRにそれらを録音してはいたんですけど、もっときちんとした形でまとめておきたい、残しておきたいっていう気持ちが出てきたんだと思います。レコードの形にしておけば、広がりはしなくても残りはするし、大好きなアーチストたちのLPレコードが並んでいる自室の棚に、自分のLPも一緒にあったらいいなとか、そんな感じでした。
 あと、精神的な面でひとつのイメージというか、物語というか、強いファンタジーみたいなものがあの頃いつも頭にあって、それをなんとかして音楽で表したいとは思っていました。

 

―― 本作は、どんなメンバーと、どのような環境で制作されたのでしょうか?
中学時代からの友人たちにドラムとベースを頼んで、あとは僕がギター、キーボード、ボーカル、タンバリンや逆回転テープの音などを重ねていきました。何曲かでベースも弾いています。
 吉祥寺の貸しスタジオで、エンジニアのお兄さんが録音をリードしてくれたんですが、そのお兄さん、僕がギターをオーバーダビングしようとすると「まだ重ねるんですか!?」とか、ミックスの時にもっとリヴァーブをくださいって言うと「もうこれ以上は無理ですよ!」とか言って、しょっちゅう呆れていました(笑)。 

 

―― 本作のサウンド、歌詞面でのコンセプトはどのようなものだったのでしょうか?
あの頃、ルイス・キャロルが好きだったんです。自分で作った遊園地で遊び耽っているような内閉的なところとか、少女への哀しくてどこか滑稽な偏愛とか、生涯独身を通したところとか、なんだか淡くて儚いところに惹かれちゃって。そういうルイス・キャロルの少女に対する夢と幻滅に、あの頃強く影響されていました。
 それから、二十歳の頃ってなぜか自分の幼少期について思い起こすことが多かったんですけど、その時に思い浮かぶのは、気味の悪い人さらいの話やら、意味がよく分からない歌詞のわらべ歌だとか、じっと自分のことを見つめているような人形だとか、そういう怪奇なイメージばかりだったんですね。もちろん僕がそのように色づけて回想しているということなんですけど。
 それで、子供の頃住んでいた家に母方の叔母がよく遊びに来ていて、4歳か5歳だった僕が夜遅くいつまでも遊んでいると、その叔母から「直樹ちゃん、もう寝なさい、寝ないとアバ・ハイジが来るわよ」って言われていたんです。それを聞くと、アバ・ハイジってなんだか分かんないんだけど、その響きが怖くて怖くて、必死で寝ようとするわけです(笑)。
 大人になって、あれって何だったんだろうと思って本で調べたりして分かったんですけど、オーストリアの童謡に『ハイジ、ブン・バイジ』っていうのがあるんですね。アバ・ハイジっていうのは、夜になると袋を持って子供のいる家を回る妖精のことなんです。その妖精は、きちんと寝ている子供の枕元には、袋の中から取り出したお菓子をそっと置いていくんだけど、いつまでも寝ない子供がいたら、袋の中にその子を詰め込んでさらっていっちゃうんです。
ルイス・キャロルへの憧憬の念と、幼少期を回想した時の物恐ろしさ、そんなところが歌詞を書いていく上で背景にあったんじゃないかと思います。
 サウンド面の方は、これは常にそうなのですがメロディをいちばん大切にしたいと思っていて、心地よい歌メロとクリーンなギターの絡みっていうのが、もうひとつのテーマになっちゃっていますね。
あと霧の中にいるようなリヴァーブで全体を包みたいっていうのはかなり意識していました。エンジニアのお兄さんには「ちょっと待て」みたいに何度も言われましたが、淡さや儚さを表現するためにはどうしても深いリヴァーブが必要だったんです。
 本当はオルガンやハープシコードやチェロなんかも入れたかったのですが、そういうのを弾ける友だちが居なかったし、あまり上手な演奏よりも、ちょっとぎこちなくてチープな方が好きなので、鍵盤を弾けもしない僕が勢いで弾いていますね。
 『アバ・ハイジ』を出した翌年だったかな、テレビで初めて「たま」を見た時に、これこれ、こういうのの西洋版をやりたかったんだよなって思ったのを覚えています。

 

―― 本作は完全自主リリースということですが、発売にあたって印象に残っているエピソードがあればお教え下さい。
全部自分でお店に直接持って行って置かせてもらいましたね。当時はインディーズのレコードやソノシート、カセットなんかもそれなりに流行っていて、そういうのを置いてくれるようなお店があったんです。今もあるのかなぁ、そういうお店が西新宿方面に集まっていましたね。当時の納品書が一部残っていて、どうやら1枚2300円で売っていたみたいです。ひとつのお店に10枚ずつ、七かけで置かせてもらっていたようです。
 だから、東京のインディーズ専門店みたいなところにしか置かなかったということですよね。当時僕が足繁く通っていた吉祥寺の新星堂に持って行ったら丁重に断られました(笑)。

 

―― リリース後の周囲の反応はいかがでしたか?
まったく話題にならず、です。デモテープ募集みたいなところにも結構送った覚えがあるんですけど、反応なしでした。中古屋さんだったか、貸しレコード屋さんだったかで『アバ・ハイジ』を見つけたらジャケットにPOPが貼ってあって、「この人は、原マスミを意識しているのでしょうか」って書いてあったような記憶があります。ポスターも作って、それを店内に貼ってくれたお店もあったんですが、すぐに外されていましたね(笑)。

 

―― 本作リリース後から現在へ至る音楽活動についてお教え下さい。
あの後、大学院へ進んで音楽や美術とはまったく関係のないことを専攻して、結局その分野でずっと仕事をしているのですが、何らかの形で音楽活動は続けていたんです。特に2012年からはギターでの弾き語りを小さなライヴカフェみたいなところで始めて、2013年はそれを50回以上やっていますね。若い人たちともたくさん知り合っていい刺激を受けましたし、新しい曲もたくさん書きました。2017年からは、パソコンを使った宅録を始めて、ボーカロイドに歌わせた自作の曲を「Kaska Guitar」という名義でインターネット上に発表しています。

 

―― 本作が海外の音楽ファンに再発見され、今再び注目を集めているということをどう思いますか?
とても嬉しいですし、興味を持って下さっている方々には心から感謝しています。『アバ・ハイジ』を初めてインターネットで取り上げて下さったスウェーデンの方にはお礼のメールを出して、その後もやりとりが続いています。それから「パピヨン」と「キャンディー」をボーカロイドに歌わせたものをYoutubeにアップしたら、「Kaska Guitarって、アバ・ハイジの浅井さんですか?応援してます」って中国の方から連絡をいただいたりして、そういうことが本当に嬉しいです。
 日本でも、3~4年前から『アバ・ハイジ』を持っていますって言って僕のライヴに来て下さる方がいたり、知らない方からレコードを売ってくださいっていう連絡をいただいたりということがあって、一体どうしたんだろうとは思っていたのですが、とうとう今回リイシュー企画についての連絡をいただいて、ただ感謝するばかりです。

 

―― 今回再発されるにあたり、どのような思いをお持ちですか?
30年以上も前に作ったものなので、古い日記が公開されるようで恥ずかしくない訳はないのですが、ギター・スタイルやメロディについては、今も変わらない面もあるなと思います。それから、今回の再発の資料で『アバ・ハイジ』のことを「プライベート・ポップス」と絶妙に表現して下さっていますが、確かにそうだなと思ったんです。そういう曲の作り方をずっとしているし、それはこれからも変わらないだろうなと思います。

取材・文:柴崎祐二

浅井直樹『アバ・ハイジ』ティーザー

【商品情報】

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タイトル:アバ・ハイジ / Aber Heidschi
アーティスト:浅井直樹 / Asai Naoki
発売日:2019年10月2日
価格:¥2,500+税
品番:PCD-25282
監修・解説:柴崎祐二

【収録曲】
1.アバ·ハイジ
2.おとぎ話がもう終る
3.パピヨン
4.くぐつ師の夢
5.夜間飛行
6.うろうろ人形
7.霧をこえて
8.戦車とオルゴール
9.魔法の少女
10.キャンディー
11.泥の海へ
12.まるで果実のように

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https://smarturl.it/AberHeidschi