ジャンル: HIPHOPアーティスト情報
CROWN CITY ROCKERS
2008.09.10
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当初ミッションと名乗り、歴史的アルバム『ワン』を発表したのが2001年。その後クラウン・シティ・ロッカーズと名を改め、活動の拠点をカリフォルニア、オークランドに移し活動してきた。ベース、キーボード、ドラム、サンプラー、そしてMCという5人編成のヒップホップ・バンド。ソロでもめまぐるしい活動をしているラーシャン・アーマッド、ヘッドノディック、そしてケロワン『アーリー・ビリーヴァーズ』への参加も記憶に新しいカット・オウアノら錚々たるメンバー。彼らは音楽への深い造詣と卓越したセンスを持ち、ソウル、ファンクを呑み込んだ文字通りオーガニックな音色、サンプルと生楽器を見事に融合させたメロウネス溢れるサウンドで多くのファンを魅了し続けている。
MINT CONDITION
2008.09.10
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ラテンとジャズに彩られ、ロックとファンクの要素が融合し、しかもモダンで一度聴いたら耳から離れないソウル・グルーヴ。
ミュージシャンがこのような音楽をクリエイトし、そして20年近くも一定のレヴェルのクオリティを保ち続けるとき、それはもはや、普通のグループやバンドを超越している。実際“ミント・コンディション”(新品同様)となるのだ。
成功を収めた5枚のアルバムと数十枚に及ぶシングルをリリースし、ワールドワイドのツアーやコラボレーションをそのジャンルにおけるトップスターたち:アリシア・キーズ、ジル・スコット、ジャネット・ジャクソン、チャーリー・ウィルソン(ギャップ・バンド)、モーリス・ホワイト(E.W. & F.)といったアーティストたちと行ったミント・コンディションは、今日のR&Bの中で唯一無二の存在であり、多くの後続たちにとって手本となる孤高の‘オールド・スクール’バンドである。
そしてストークリーのしなやかで感情的なテナーと融合した、彼らのクラシックかつコンテンポラリーなアプローチは、6枚目のスタジオ・アルバムで、バンドのインディペンデント・レーベル(ケージドバード・エンタテインメント)からリリースされる2作目のアルバムとなる『eLife』となって昇華する。
繰り返し唱えられるテーマは、インターネット時代の今日の状況で、家族や人間関係のさまざまな問題を描写すること。ギタリストのリック・キンチェンによれば、これらの問題は今まで我々が経験してこなかったものであるという。
「テキスト・メッセージを送ったり、Myspaceを使ったりEメールを書いたりっていうことをみんなしていて、そういう時代におけるリレーションシップのあり方についてのアルバムのなんだ。誰でもコンピューターの前にいながら数秒で自分の子供に何か言える。子供たちは数時間後にそれを読むことが出来たりする」
事実、絶え間ない均衡が『eLife』のオープニング・トラック “Baby Boy Baby Girl”(feat. アンソニー・ハミルトン)をインスパイアしている。
この曲のようなセレブレイト・ソングはミュージシャンにとっては胸を突かれる思いだが、リックは、この曲のメッセージは誰しもに普遍的なものだと話している。
「様々な種類のリレーションシップがあるけど、最後にここに居てくれるのは自分の子供たちだけなんだ。でも自分のことだけの歌にはしたくなかったから、自分のまわりの友達なんかで見てきたことも描いたんだよ」
心の葛藤を表現している曲はこの他にも、切なく心に迫る “Wish I Could Love You”、 リトル・ブラザーのフォンテをフィーチャリングした“Somethin”、そしてアルバムで最も魅力的な曲 “Who Do We Try”は、ア・トライブ・コールド・クエストの‘サウンド・プロバイダー’以外何者でもないアリ・シャヒード・ムハマッドによって僅かなビートと不気味なスクラッチが施され、見事にショウケイスされている。
このサウンドはミント・コンディションにとって新しい方向性への出発であり、バンドがアーティスティックな可能性の限界に挑戦してみたいという思いが表れている。
「フューチャリスティックなユーロ・サウンドを伴った、とても真っ直ぐで飾らない曲だと思うよ」
と、リードヴォーカルのストークリー・ウィリアムズは語る。
「この曲を受け入れるかどうかは、聴く人の心境によるだろうね」
音楽業界でミント・コンディションがいまだ活躍し、より活動の幅を広げているのは、こういった彼らの豊かな創造性だ。
キーボードのローレンス・エリとケリ・ルイス、ギターのオデル、キーボード兼サックスのジェフリーを含む全てのバンド・メンバーがツイン・シティ(セントポールとミネアポリス)で育ち、(現在は‘ミネアポリス・サウンド’として知られる)プリンスによるファンク、ソウル、ポップの衝撃的な交配種にインスパイアされてきた。
少年期はお互い顔見知りではあったが、実際にコラボレーションが初めて実現したのはセントラル高校での芸術クラスであった。
スティールドラムのクラスを一緒に受講していたオデルとストークリーは、ストークリーの自宅の地下で練習を積んでから、ミュージシャンというものにすっかり魅了されてしまった。
「みんなで取っていた芸術クラスがあったんだよ」。
当時を振り返りローレンスはそう語る。
「僕らの街にはミュージシャンを雇ってたシンガーがたくさんいたんだ。僕らはあるコンサートのバックバンドとして演奏することになった。そういう機会がとても増えてきたので、そしたら自分たちでバンドを演ってしまおうってことになったんだ」
バンドのラインナップが固まったのち、今では有名になった<First Avenue>というライヴハウスで1989年に行っていたギグが、ザ・タイムの元メンバーで後にスーパー・プロデューサーとなったジミー・ジャム&テリー・ルイスの目に留まった。
彼らは当時パースペクティヴ・レコード(A&Mの子会社)を自ら立ち上げたばかりだった。
今日まで、クリエイティヴなアイデアの投入とスタジオでのブレーンとして、敬意を払ってジミー・ジャムとテリー・ルイスをクレジットしてきた。
「僕らのこれまでのキャリアの影にはいつもジミーとテリーの存在があって、僕らはラッキーだった。」とオデルが語っている。
「彼らもバンドをやっていたから、僕らが何をしたいと思っているか理解してくれたんだ。もしも僕らが他のレコード会社と契約を結んでいたら、何かヒットを出す前に既にバンドを解散していたかもしれないよね」
ミント・コンディションのファーストシングル“Are You Free”は少し話題になった。
しかし彼らにとって初のビッグヒットと呼べる作品は、ワシントンD.C.のWHUR-FM(ハワード大学運営の名高いカレッジラジオ)から火かついた1991年の発表の“Breakin’ My Heart (Pretty Brown Eyes)”だ。
このシングルはビルボードR&Bチャートで最高3位、ポップチャートでは6位を記録し、34週に渡りチャートインした。
その後、2枚の優れたアルバム、『From the Mint Factory』と『Definition of a Band』を発表。そして、“Forever In Your Eyes” “U Send Me Swingin” “Someone to Love” “So Fine” “You Don’t Have to Hurt No More” “What Kind of Man Would I Be”といったヒットシングルを続けざまに発表した。
パースペクティヴ・レコードがレーベルを畳み、ミント・コンディションがエレクトラに移籍してもなお、彼らの4作目となったアルバム『Life’s Aquarium』はビルボードR&Bチャートでトップ5にチャートインしたシングル“If You Love Me”を生み出す快挙を成し遂げた。
また、エネルギッシュで聴く人を惹きつけてやまないライヴ・パフォーマンスの高い評判を確立していった。
レコード会社の突然の閉鎖がバンドに変化をもたらすのに十分でなかったとしたら、別の要因がバンドに新しい道筋を示したのだろう。
『Life’s Aquarium』のリリースから2年後の2001年、ケリ・ルイスが、後に夫人となるトニ・ブラクストンのプロデュースとツアーのためにミント・コンディションを脱退した。
ミント・コンディションのメンバーによると、ケリの脱退は友好的なものだったという。
「僕らは少なくても月1回は電話で話しているし、時々会ったりもしているよ。この夏には僕らのツアーで何回か同じステージに立たないかなんていう話もしているぐらいなんだ。」
とオデルは話す。
そしてケリの脱退から数年後、ミント・コンディションはエレクトラから離れ、プリンスがアイコン的に行った方法を模倣し、バンドは自分たちのレーベル、ケイジドバード・レコード(Cagedbird Records)を立ち上げた。
2005年の『Livin’ the Luxury Brown』が自分たちのレーベルで初のリリースとなった作品である(配給はイメージ・エンタテインメント)。
アルバムはビルボード・インディペンデント・アルバム・チャートで1位を記録、そしてR&B界に名を残す新たなヒットシングル“I’m Ready”を生み出した。
『eLife』はミント・コンディションそのものと同じように、たまらなく刺激的である。
この作品はミント・コンディションを5人の男たちによるR&Bのオアシスとして位置づけ、オールド/ニュー・スクールの双方の関連性をさらに強固にしている。
「僕らは両方の世界にまたがることが出来るんだ」とストークリーは言う。
「CDでは全部経験することは出来ないし、僕らのライヴを観るだけでも駄目。僕らがやっていることに常に注目していて欲しい。何故なら、僕らの最終ゴールは人々を楽しませ、インスパイアすることだからなんだ。僕らは常に前に進んでるっていうことだよ」
Dday One
2008.09.10
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ロサンジェルス出身のターンテーブリストであり、ビート・メイカー。自身をサンプリストと名乗るほど、サンプリングにこだわったプロダクションが特徴。過去にはグラフィティ・アートも手がけていたという。
90 年代の前半、若干11 歳の頃からロサンジェルスのレコード・ストアやリサイクル・ショップに通い始め、取り憑かれたかのようにアナログレコードの蒐集を始めた。まだサンプラーを所有していない頃からターンテーブルの針をループ・ポイントに落とす”ドロッピング・ザ・ニードル”という技を駆使し、カセット・デッキに思い通りのサンプルを重ねてビートを作っていた。数年かけて集めた膨大な枚数のレコードと、このころ培った制作方法を経て、今ではサンプラーのシーケンス機能をフル活用しディーデイ・ワンの音楽への強い愛情が溢れたビートは世界的に注目されるようになった。
2005 年には自身初となるアルバム『Loop Extensions』をアナログでリリース(その後CD も発売)。地元ロサンジェルスのアンダーグラウンドで話題となり、買い逃した元ジュラシック5 のカット・ケミストが本人にコンタクトを取り、ようやく手に入れたという逸話もある。
2008 年にはセカンド・アルバム『ヘヴィ・マイグレイション』 を発表。日本盤でもリリースされ初来日を果たす。
Official Site:www.ddayone.com
fansite:http://www.facebook.com/ddayone
GIANT PANDA
2008.09.10
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BES
2008.09.10
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SWANKY SWIPE / SCARSとしての活動でも知られ、SCARS『THE ALBUM』(06年)、SWANKY SWIPE『Bunks Marmalade』(06年)、ファースト・ソロ・アルバム『REBUILD』(08年)といった日本語ラップ・クラシックな作品を次々とリリース。2007年にはULTIMATE MC BATTLE – GRAND CHAMPIONSHIPに出場して準優勝を果たし、その実力をシーン内外に強くアピールして人気/評価を不動のものに。
少しのブランクを経て2012年には自身のかかわった楽曲に新曲/フリースタイルを加えたミックス・シリーズ『BES ILL LOUNGE: THE MIX』をリリースして完全復活を果たし、以降は自己名義の作品のリリースのみならずISSUGIとのコラボレーションでも『VIRIDIAN SHOOT』、『Purple Ability』と2枚のアルバムをリリース。SCARSとしての再始動も大きな話題となった。2024年、待望のニューアルバム『WILL OF STEEL』をリリース。
Fat Jon The Ample Soul Physician
2008.08.28
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インストゥルメンタルという表現手法に、言葉をも超越する深いメッセージを紡ぎ込む不世出の天才クリエイター、Fat Jon(ファット・ジョン a.k.a. ジ・アンプル・ソウル・フィジシャン)。
幼少時代、ピアノやフルートなど楽器を習っていたこともあり、半ば必然的に自分の身を音楽に捧げる決意をした彼は、トラック・メイキングを中心にそのキャリアをスタートする。
その後、Pase Rock, Kyle David, Sonicと運命的に出会い、プログレッヴ・ヒップホップ・グループ”FIVE DEEZ”を結成し、MC/DJ/プロデュースを担当。
FIVE DEEZとしてはこれまでに3枚のアルバムをリリースしているが、その全てを世界的ヒットに導いている。
ソロとしての音楽プロデュースも多忙を極め、URBマガジンでは、
”次世代トップ100”の一人としてピックアップされ、あのビルボード誌にも特集記事が組まれた程である。
盟友J-Rawlsとのプロジェクト3582や、女性ヴォーカリスト:Amleset Solomonとのユニット”Rebel Clique”、FUJI ROCK ’03でも来日を果たしたベルリン・ダブ・ミニマル・プロデューサーのPoleや、
<Nettwerk>のStryofoamとのコラボレートし、リリース&ツアー活動を行っている。
ジョンの最新アルバム「Repaint Tomorrow」は、”dawn”シリーズ最新作としてリリースされた。
現在、彼はドイツのフランクフルトに拠点を移し自身のレーベル
<Ample Soul>を運営しつつ、今日も世界を股にかけて数々のプロジェクトを行い続けている。
Hip Hopクリエイティヴィティの牽引者とも言うべきファット・ジョンのミュージック・ジャーニーは終わらない。














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