JEFF HANSON ジェフ・ハンソン

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1978年生まれ。マーニー・スターンと並び、近年デモのみでKRSとの契約に至った希少なアーティストのひとり。4才の時からギターを弾きはじめ、13才の時に自身のバンドM.I.J.を結成 (2000年にデビュー・アルバムを発表)。日本でもロングセラーとなったデビュー作『サン』(2003)、より深化しスケールアップしたサウンドを聞かせたセカンド・アルバム『ジェフ・ハンソン』(2005) の2作をKRSから発表後、2006年2月に初来日を果たし、トクマルシューゴを伴って全国ツアー。その唯一無二の美声を披露して観客を魅了した。

ジェフ・ハンソンのように歌うのは彼の他には絶対に誰もいないし、その唯一性には代償もつきまとう。これは、ジェフ・ハンソンが長年にわたって受け入れてこなければならなかった事実だ。「この世のものでないような」とは、「待てよ、これは本当に男が歌っているのか?」という怠惰でずっと通りいっぺんな見方よりは好ましい形容だと言えるだろう。リスナーにとっての秘訣、あるいは難問となるのは、このうっとりさせるような飾り文句が、音楽そのものに宿っている緻密なポップさと見事なソングライティングの技巧の影を薄くしてしまわないようにすることだ。

ジェフ・ハンソンが受けた影響として語られるものは大体において見当違いだ。すでにベテランの域に達しているこのソングライターは、キル・ロック・スターズからリリースされる自らの3枚目のフル・アルバム『マダム・アウル』についてこう語っている。「僕はこの作品をジェフ・ハンソンのレコードと言えるものにしたかったんだ。」新しいアーティストを説明しようとするときにつきまとう、誰と誰の掛け合わせといったような分かりやすい修辞を免れることを望んでいるかのように、このアルバムで彼は全く独自のサウンドを作り上げた。とはいえ、本作が、これまでの2枚のアルバムにおけるジェフ・ハンソンからかけ離れたものになっているというわけではなく、本質的な要素は変わらず残っている。ただ、デビュー作『サン』のむき出しのアコースティック・サウンドの美しさも、セカンド『ジェフ・ハンソン』の手芸品を作っているような器用なポップ職人ぶりも、ここではさらに推し進められているのだ。 

これまでの場合、彼の歌声は、比較的乏しいアレンジが残す隙間を埋めていくことが多かった。これに対して、『マダム・アウル(ふくろう婦人)』(結局使われなかった曲タイトルに由来している)では、バロック的な志向性によって、ジェフのヴォーカルが楽器の役割を補完するものというよりは、楽器のアンサンブルの中に見事に調和する位置を占めることを可能にしている。

その非凡な歌声と並んでジェフが名声を得るきっかけになった特徴は、その一貫した密度の高さである。これまでの2作同様、このアルバムはポップ・ミュージック・シンフォニーの集合体になっているが、そのひとつひとつがシングルになってもおかしくないように感じられるのだ。

13才の時に、ハンソンは、ウィスコンシンの驚くほど激しいエモ・インディー・バンドM.I.Jで音楽活動を始めた。このバンドはコールフィールド・レコードから数枚のレコードをリリースしてちょっとした話題になったが、ジェフがフルタイムで自らのソロ活動に移行しようと決めた時には、バンド結成からすでに7年の歳月が経っていた。

ジェフは、20代前半にしてキル・ロック・スターズとの契約も果たした(レーベルに送ったデモがきっかけという珍しいケースで)。こうした経験の全てが、ジェフが30才にして真のヴェテランのような落ち着きを示すことができる理由となっている。これこそが、『マダム・アウル』をかくも独特な作品たらしめている特質である。これは、自らを証明しようと躍起になって無理が過ぎた若いアーティストによるレコードではなく、10年以上のキャリアの中における最新の試みとして、自身のユニークな才能のエッセンスを抽出した力作なのである。

ジェフ・ハンソンさんは不慮の事故のため、2009年6月5日金曜にミネソタ州セントポールの自宅で亡くなりました。享年31歳という若さでした。

Pヴァイン・レコード一同、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

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