Underworld アンダーワールド
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嵐のような激動の30 年を経て、すっかり風化してしまった音楽との関係性において、今なお輝きを放ち続けることはできるのだろうか? 気の滅入るような不遇の時代から一転、驚異的とも言えるほどの成功を成し遂げ、バンドの解散や再結成、アルコール依存症との闘い、大規模なギグ、莫大なレコードセールス、オゾン層を激減させるほどの大量のヘアスプレー、そして70 年代後半からの断続的なパートナーシップなど、最初から計算されていたかのようなキャリアを生きる中で、なおも創造の源を見つけ出すことなど、果たして可能なのだろうか? 80 年代半ばから、アンダーワールドとして共に活動するカール・ハイドとリック・スミスの場合、その解決法は、ホームグラウンドを遠く離れて演奏することにあった。
サウンドを開拓し、また歌詞の面でも探求を続けたアンダーワールド。彼らは、90 年代初めにラザロ(注)のごとき劇的な復活を遂げ、以降、エレクトロ・ミュージック・シーンを躍進する(ロムフォードで近所に暮らしていた若きDJ、ダレン・エマーソンを迎えて)3 人組となった初のアルバム『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は、ロック・エリートの中でもとりわけアッパークラスの人々に絶賛で迎えられることに。数年をかけて復活し、焦点を再び定めた結果、この『ダブノーベース~~』は、これまで他のバンドがただ夢見るだけでしかなかった、奇跡の復活劇をアンダーワールドにもたらしたのだ。ワゴン車の後部に積んだたった500 枚のシングルを売るような、カルト的な存在だったアンダーワールドは、その後15 年以上にわたり、夏の間中、世界各地のフェスティバルを次々と巡り、トリを務める存在となる。地下のダンスフロアで実験的な音を鳴らしていた彼らが、ダニー・ボイルや故アンソニー・ミンゲラといった監督たちの映画音楽を担当するまでになったのだ。
2010 年秋、6 枚目のスタジオ・アルバム『バーキング』のリリースによって、アンダーワールドは再び、創造性の復活という偉業をみせてくれるだろう。同アルバムもこれまで同様、外部からの援護射撃が、バンドのクリエイティヴィティの起爆剤となっている。オープニング・ナンバー「Bird 1」のイントロの、ゾクゾクするような機械的なビートからもわかる通り、このアルバムはバンドの再生がもたらした作品であることは明らかだ。
アンダーワールドの歴史は、正確には1980 年のカーディフで幕を開けた。それは市内のスプロット地区にある学生会館での、偶然の出会いだった。正装したリックが、自身の誕生日までの残り数時間を祝ううちに、ほぼ空になったシャンペンのボトルを手に、バスタブでグダグダになっているのを、カールが見つけたのだ。ジョン・ピールの番組でさえ扱わないようなコアな音楽がお互い好きだったこともあり、2 人の音楽的な関係が開花する。最初は、カーディフを拠点としたバンド、ザ・スクリーン・ジェムズとして。続いて、バンド名をミミズのような記号で表記し、さらに見た目も“やっかいな”と呼ぶのがふさわしいバンド、フルールとして。1983 年にCBS と契約したフルールは、エレクトロな曲調とロックの楽器を融合させ、スタジオの伝説的存在であるコニー・プランク(クラフトワーク、ノイ!)や、デニス・ボーヴェル(スリッツ、オレンジジュース)らとタッグを組んだ。こうしたプロデューサーたちは、スミスやハイドが4/4拍子を作り出す電子機器(motorik electronics)や、ほら穴で響くような広がりのあるダブ・サウンドに異様なまでに執着する良いきっかけを与えたと言える。ところが、ヨーロッパで成功を収めたものの、流行の変化がフルールに終焉をもたらし、この結果、第1期アンダーワールドの結成に至った。
バンドはエレクトロ色の濃いロック・アルバム2 枚をリリースし、世界的な人気を手にする。特に『アンダーニース・ザ・レイダー』は、オーストラリアでかなりの健闘をみせた。しかし1989 年にバンドの活動が尻すぼみになると、スミスはイギリスに帰国してエセックスに移り住み、ハイドはデボラ・ハリーの雇われギタリストとなる。
その頃、イギリスの音楽界は、アシッド・ハウスが先の見えない展望を生み出すという“黎明期”に突入していた。そのことが、スミスに自分が作っていた音楽の価値を改めて考えさせるきっかけをもたらした。そして、彼よりも13 歳年下で、すでにDJとしてカリスマ的な存在だったダレン・エマーソンとの出会いが、スタジオでの一時的なコラボレーションや、[Junior Boy’s Own] というレーベルとの関係を築くことへとつながっていく。さらに、ハイドのバンド復帰にともない、“Big Mouth”や“Dirty”、“Mmm… Skyscraper I Love You”、そして“Rez”といった、いっそうレベルアップした12 インチ・シングルの成功と相成る(“Rez”は最近、ジョン・サヴェジによって「ダンスレコードの中でも最高の部類に入る――オーディエンスからインスピレーションを受け、その代わりに何かを還元することで取引を交わしている。興奮や一体感、超越といったものをね」と評されている)。楽曲にはいずれも遊び心があり、不思議な印象さえあった。ルー・リードのアルバム『ニューヨーク』や、サム・シェパードの著書『Motel Chronicles』に多大なる影響を受けた、ハイドの感情ほとばしる歌詞と、リスナーの周りを疾走しながらグルグルと回るようなエレクトロ・サウンド――彼らは当時、他の誰の活動とも少し距離を置いた、自分たちだけの空間に存在しているように見えた。
エマーソンを迎えて制作した最初のアルバム『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』は、1994 年1月にリリースされた。
『メロディー・メーカー』誌に「ザ・ストーン・ローゼズや(プライマル・スクリームの)『スクリーマデリカ』以来の、最も重要なアルバムだ。アンダーワールドは、この先もきっと唯一無二の存在だろう」と言わしめたこの作品は、絶望的だったUKの音楽業界が、ダンス・ミュージックに好意を持って降伏する段階に来ていることを知らしめた。その後2 ~ 3 年で、アンダーワールドは革命的なライヴ・アクトという自らの地位(「模倣を阻むような独特の音」/『ガーディアン』紙、「汚れのない、3 次元のポップ・アート」/『タイムズ』紙)を封印し、ダンスフロアから即座にフェスのメインステージとなるダンステントへと活動の場を移した。『ダブノーベース~~』に続くリリース作品『弐番目のタフガキ』は、『NME』誌から「肌触りがスムーズで、足取りも軽く、リズムは簡単にはつかめない。グリーン・デイとは対極を成すこの3 人組は、涼しい顔をしながらも、西欧のグルーヴによる支配を目指して、努力を続けている」と称賛された。部外者に近い存在から、ジャンルの垣根を超えるというアンダーワールドの構想の転換は、完全に功を奏したのだ。
1996 年のはじめ、若きイギリス人監督が、この『ダブノーベース~~』を使った低予算映画を制作した。アーヴィン・ウェルシュの傑作を、ダニー・ボイルが映画化した『トレインスポッティング』だ。この映画は、ブリットポップの高い完成度を象徴するサウンドトラックと共に、世に放たれた。1995 年のシングル“Born Slippy”のB 面“Born Slippy. NUXX”はチャートを席巻して同映画の代名詞となり、さらには翌1996 年のサマーアンセムとなった。同シングルはUK シングルチャートで2 位を記録し、イギリス国内だけで75 万枚以上をセールス。ちなみに、“Born Slippy. NUXX”の歌詞は、過度のアルコール依存状態における無限の可能性を探るべく、ハイドがロンドンのウェストエンドに夜毎入り浸っていた頃の様子をつづったものだ。
その後、アンダーワールドは3 人体制で3rd アルバム『Beaucoup Fish』(「注目すべき3rd アルバム。概ね時代にはそぐわないテクノのビートに合わせて、異常なテンションで目をギラつかせた男が、年甲斐もなく猛烈にまくし立てている」/『NME』誌)をリリースし、さらにバンド史上最大規模のツアー日程(この模様は画期的なライブ・アルバム/ DVD『エヴリシング、エヴリシング』に収められている)をこなした。そして、エマーソンがソロ活動に専念するため、脱退する。一方、『エヴリシング、エヴリシング』で、バンドは初めてネットに進出し、自身のウェブサイト< underworldlive.com >を誕生させた。
同サイトは、ハイドのブログの前身でもある(10 年間、毎日更新されている)日記のほか、スタジオでのジャム・セッションや世界各国でのギグなど、即席かつ無料のライヴ放送、さらにはRadio1でジョン・ピールの代役を務めた自らの経験を基に、ウェブラジオ番組も生み出した。
2 人体制になって初となる、2002 年の4th アルバム『ア・ハンドレッド・デイズ・オフ』(「彼らは一貫して輝かしいサウンドを作るという自らの使命に潔く身を落ち着けたようだ」/『Mojo』誌)のリリースに先駆け、ハイドはアルコール依存症患者として、自身の内なる悪に向き合うことを決意した。こうして浄化を経験したことにより、キラキラと輝く超ポジティヴなリード・シングル“Two Months Off”が誕生。この年のサマーアンセムとなった同曲は、6 年前の“Born Slippy. NUXX”と同じように人々の心をとらえ、中毒的ともいえる影響を世にもたらした。
なおも新たなテクノロジーの可能性を活かしたいと考えたアンダーワールドは、次なる動きとして、ザ・リバーラン・プロジェクトを立ち上げ、ネット限定のバンドの作品をファンに直接届けることに。これが実施されたのは、レディオヘッドが『イン・レインボウズ』の直接販売を試みた2 年も前のことだった。リバーランを通して発表された3 曲のダウンロード・ナンバーは、まったく異なるトラックながら、それぞれが絡み合い、25 分の長さの作品となった。このプロジェクトから発表されたうち数曲は、ダニー・ボイルの映画『サンシャイン2057』(2007 年)にも使われている。このサウンドトラックや、映画『こわれゆく世界の中で』(アンソニー・ミンゲラ監督の遺作)への参加は、アルバム『オブリヴィオン・ウィズ・ベルズ』(「典型的な魅力を持った作品」/『オブザーバー』紙)へとつながり、同作品でバンドはこれまで以上に気負うことなく、映画音楽のクオリティをいっそう高めた。あえて言うのなら、四半世紀にわたり活動を共にしてきて、アンダーワールドはようやく歳と共に成熟し始めたということだろうか?
2009 年末、また違ったタイプのアンダーワールドの作品が、ほとんど不意打ちのように登場した。90 年代初頭に彼らが作った500 枚限定の12 インチ・シングル同様、“Downpipe”はダンスフロア仕様に作られたナンバーだった。アンダーワールドはもちろん、テクノ・プロデューサーのマーク・ナイトやD・ラミレスも制作陣に名を連ねたこの“Downpipe”は、前のアルバム同様、形にとらわれない、それでいて簡潔な仕上がりに。このトラックがクラブでかかるやいなや、アンダーワールドがいつまたスタジオに入るのか、同志たちに協力を募ってアンダーワールドのアルバムを作ったらどうかといった声が聞かれるようになった。
実際、新作『バーキング』には、ナイトやラミレス(“Always Loved A Film”“Between Stars”)のみならず、現代のダンス・ミュージック・シーンの中でも才能があり、気心の知れたプロデューサーたちが協力している。ウェールズ出身のドラマー兼ベーシストのハイ・コントラスト(“Scri bbl e”“Moon I n Wat er ”)や、4 度のグラミー賞に輝いたダブファイア(“Bir d 1”“Gr ace”)、ブリストルを拠点としたダブステップのプロデューサー、アップルブリムとアル・トゥレット(“Hambur g Hot el ”)、そしてアンダーワールドの長年の仲間、ダレン・プライス(“Bet ween St ar s”)といった面々だ。
9 曲ともエセックスにあるバンドのスタジオ(ザ・ピッグシェッド)で曲作りおよびレコーディングが行なわれたが、コラボレーションは各曲ともに異なる手法がとられた。編集はこっちで、追加のプログラミングはあっちで、といった具合に。全体の手直しも同様だった。その後、バンドの手元に戻され、最終的なミキシングが施された。普段は徒党を組まないユニットとして認識されている彼らだが、ハイドがブライアン・イーノの完全なる即興ジャム・バンド、ピュア・シーニアス・プロジェクト(注)に参加し、シドニーのオペラハウスでトリを務めるといった体験を経たこともあり、『バーキング』の冒険的とも言える構想が練られたのだ。
しかし問題は、これほど豪華なゲスト陣を迎えて、肝心のサウンドは実際どう仕上がっているのかという点だろう。まずは、海底から響くようなベース音が、うねるビートを紡いでいく。そして第一声は、耳にささやきかけるようなソフトなヴォーカル。そしてテンポに合わせて滑り込むハイハットなど、そのサウンドは間違いなく、アンダーワールドのものだ。いともたやすく楽曲を包みこむエレクトロ・サウンドや、忘れがたいイメージを作り出す自覚的な歌詞の流れ、非の打ちどころのないくらいにバランスの取れたメロディとリズムの融合がここにある。アンダーワールドの6 枚目のスタジオ・アルバムは、劇的なカムバックと言える作品だ。とはいっても、バンドのかじ取りがこれまで一定の水準を下回ったことはないというのが、正しい見方ではあるが。映画『サンシャイン2057』での、宇宙船イカロス2 号に積まれた爆弾のように、この新たな制作過程は、バンド内のクリエイティヴィティを再燃させたというよりも、無数に存在する新たな未完成作品への探求心に火をつけたと言えよう。こうした過程を経て、新作は光り輝く、唯一無二の、まさにアンダーワールドの音となっているのだ。
果たして、始動から30 年が経過した今、選び抜かれた共謀者たちと制作を共にすることで、キャリア史上、最高のアルバムが作れるのか? それは大きな賭けだった。だが、2010 年現在のアンダーワールドは、この賭け自体をきっと面白がっていたに違いない。
次はいったい誰とねんごろな関係になるのか、その疑問には触れないでおこう。ただ次の7th アルバムへと歩みを進めるのみだ。
注: ラザロ
キリストによって復活を遂げたユダヤ人
注: ピュア・シーニアス・プロジェクト
ブライアン・イーノ、カール・ハイド(アンダーワールド)、オーストラリアの即興トリオであるザ・ネックス、レオ・エイブラハムス、ジョン・ホプキンスからなるプロジェクト。「ピュア・シーニアス・プロジェクト」の活動としては、2009 年6 月にシドニーのオペラハウスで行われたルミナス・フェスティバルや、2010 年5 月にイギリスで開催されたブライトン・フェスティバルでも、シドニーと同じ顔ぶれでパフォーマンスを披露している。
日本公式アンダーワールドTwitterオープン:http://twitter.com/Underworld_JPN 海外公式HP: http://www.underworldlive.com
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Underworld「Always Loved A Film」
2010/09/15 DIGITAL DGP-189