ROBERT JR. LOCKWOOD ロバート・ジュニア・ロックウッド

 ロバート・ロックウッドが逝ってしまった。

享年91、というよりも92歳に近かった。

脳溢血で倒れ、その直後の11月21日に併発した肺炎のため、長年のホームタウンであったオハイオ州クリーヴランドにて死去。

男の年齢としてみれば、大往生である。が、今も現役真っ只中、もちろん老齢の衰えがあったとしても、しかし90を過ぎてのロックウッドという味わいと境地、それを聞く楽しさ、悦びがあったわけで、いなくなってしまったその喪失感は、とても大きい。

 ロックウッドが亡くなった11月といえば、32年前、あの伝説のステージとなる第一回ブルース・フェスティヴァルが行われた月だ(1974年11月25~30日にかけて行われた)。

そこで見せつけられた、躍動感と創造性あふれるブルースの奥深い世界。あれ以来、ロックウッドは同時代に生きるブルースの神として、殊に日本のファンにはある種特別な存在となった。

その後、「ロバート・ジョンスン」がキーワードとなって、ロックウッドが紹介されることが世界的に多くなっていくわけだが、それよりもずっと前から、日本のファンの愛着は欧米に比べても、非常に深いものがあったと思う。

ちなみに、初来日のきっかけとなった初リーダー・アルバム『ステディ・ローリン・マン』は、LP時代からの累計で日本では一万数千枚がファンの手元に届いているはずだ。

 「ロバート・ジョンスンの義理の息子」、「黄金時代のシカゴ・ブルースを支えた裏方ギター職人」、「B.B.キングと比して語られるべきモダン・ブルース・ギター・スタイル確立者の一人」等々、その形容句を多く持ったが、ぼくが一番好きなのが「ブルースの生神様」だ。これは札幌の熱心なファンによる命名で、これまで本誌でも、またPヴァインでも何度も使ってきた。

ブルース・ギター道とでも言うべき己のスタイルの追求ぶり、ヴォーカルとその作風の洒脱かつ奥深さ、すべてがその哲人的風貌に合致。ついつい拝むかのように聞いている、そんなファンが多いに違いない。僭越ながらファン代表として、あのステージ、そして彼が遺してきたすべての作品、演奏に、いま改めて声援を送り直したい。

 ロックウッドは、2006年1月、孫弟子筋にあたるギタリスト、クリーヴランド・ファッツの録音にも参加している。そのギターの悠々たるロックウッド節は、見事というしかない。最期まで、ブルースを極め続ける偉大なる存在であった。

誰でもいつかは死んでいくわけだが、だからなおさら悲しいものは悲しい。

-高地 明(ブルース&ソウル・レコーズ 第73号より)

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