ERIC ROBERSON エリック・ロバーソン
インディ・ソウル・ムーヴメントに代表的存在がいるとするならば、それは恐らくエリック・ロバーソンだろう。彼が他のアーティストから受けるリスペクトは、妥協を許さない彼の成功と、新進気鋭のシンガーやミュージシャンたちを無欲にサポートする姿勢による。驚くほど広大な彼のファン層の中でも、ほとんど狂信的とも言えるファンたちがエリックをインディ・ソウル・キングのように祭り上げることで、あわせて同業者からの人気も過熱しているようにみえる。
ニュージャージーのローウェーで音楽一家に生まれ育ったエリックの幼い頃の記憶の中には、父親が歌ったりギターを弾いたりしていた姿がある。エリックは幼少の頃から歌い始め、ティーンエイジャーになる頃には本格的にパフォーミングを開始した。ミュージカル・シアターの奨学生としてハワード大学で学び、キャンパスでは頻繁に演奏活動を行う傍らワーナー・ブラザースとレコード契約を結び、1994年のR&Bヒットとなった“The Moon”もこの頃録音された。
卒業後、エリックはシンガー、ソングライター、そしてプロデューサーとして評判となり、ジル・スコット、ミュージック・ソウルチャイルド、ヴィヴィアン・グリーン、ドゥウェレ、ウィル・ダウニングをはじめとするアダルト・ソウル・アーティストの影の有力者として10年以上に渡り活動してきた。
創造の自由に対するエリックの欲求が、彼をメジャー・レーベルから回避し、2001年の『ジ・イーソテリック・ムーヴメント』からインディペンデントなソロ・アーティストとしてキャリアを築いていくよう導いた。それからの5年間は、インディペンデントなアーティストとして最も成功を収めているアーティストの一人として、事実、これまでの常識をひとつひとつ覆すような動きをしてきた。彼は作りたいと感じたときにアルバムを制作し、既に作った作品に手を加えたり、リイシューをした。
また、主に彼自身のコンサート会場や小売店、CD Babyという販売網を通してCDを販売し、批評家から高い評価を受けている『ジ・イーソテリック・ムーヴメント』(PCD-2575)『ザ・ヴォールト vol.1』『ザ・ヴォールト vol1.5』(PCD-24145)、そして2005年の『ジ・アペタイザー』(PCD-2620)の4枚のアルバムは10万枚のセールスを記録した。
疲れ知らずのツアー・アーティストでもあるエリックは、毎月8箇所から10箇所の、どれもソールドアウトとなるコンサートを行い、一方で他アーティストの数え切れないほどの作品にゲスト・ヴォーカリストとして参加している。
いわゆるメインストリームの外側での、エリック・ロバーソンの活動の成功は、他のインディペンデントなアーティストの良き手本となり、また、完全にエリック自身のやり方で勢いに乗り続ける、今日の彼のキャリアをもたらしているのだ。