DAVID E. SUGAR デヴィッド・E・シュガー

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デヴィッド・E・シュガーが初めて音楽の才能に目覚めたのは若干9歳のときであったという。以来、エレクトロニク・ミュージック・シーンの新しいタレントとして頭角を現すようになった。

ティーンのころ、彼は数々のインディ・バンドでドラム、ギター、ベースを演奏してきた。同時に、海賊ラジオから流れてくるレイヴ・サウンドにも親しむようになる。18歳のときにプログラミングを習得するようになる前のことだった。やがてその天賦のソングライティング能力とプロダクション・スキルが融合、彼の音楽は海賊ラジオの枠を超えてインターナショナルなラジオ一般へと広がっていった。

2003年、プロトゥールズのカット&ペースト的なギミックに失望したデヴィッドは、テクノロジーを持ち帰り、自宅のセットやトイ・サウンドと結びつけることにより、新しいサウンドを模索するようになった。いわゆるサーキット・ベンディングの手法だ。やがて、ゲームボーイのソフトウェアをみつけると、そのゲームのシステムと、シーケンサーや楽器を結びつけるようになった。

彼のサウンドが(当初ネットで話題となっていた)チップ・チューンのシーンで評判になるまで、さほどの時間はかからなかった。そのユニークなライヴで、引っ張りダコとなった。2005年になると、ギターとゲームボーイでポップ・ソングを書くようになった。チップ・チューン・レーベルの8 bit peoplesから"Fresh off the Chip EP"を発表、チップ・チューンのシーンで著名なウェブサイト「VORC」で2005年のベスト・アーティストに選ばれた。その結果、マルコム・マクラーレンの目にとまり、あるゲームボーイ・バンドの前座を務めてほしいと要請されたが、デヴィッドはそれを受け入れなかった。

2006年のアタマごろ、初めての12”である’Coin Op Rocker’を発表、続いて’First OK’を12”カットした。ディーゼルUミュージックのツアーにも参加し、伝統的な音楽シーンでも頭角を現し始めた。

2007年になると、他のアーティストのリミックスもはじめる。クラクソンズ、The Rumble Strips、Operator Please、Get Cape Wear Cape、The Lo Fidelity All Starsなど。その後、Greco Roman Sound Systemのために‘Oi Oi New York This is London’と‘Chelsea Girls’を書き、シングル化した。これがZane LoweやXFM、Rob Da Bankの耳に止まり、Maida Valeで行われたライヴ・セッションに招かれるまでになった。

2008年にはWiley、HK119、The Thirstなど、そのリミックスの仕事は、ますます多岐にわたるようになる。

デヴィッドは、ラップトップからフルバンドまで、様々なライヴセットをこなすことができる。Shoreditchのパーティーから、Calvin Harris、DigitalismやHadouken!のステージに至るまで、多くのステージに立ち、彼のニュー・タレントとしての名声は確固たるものとなった。

2008年はキツネとの出会いの年でもあった。“To Yourself”のシングルをリリースし、キツネ・メゾンのツアー・メンバーとしても、ステージに立つ。コンピレーション『Kitsune Maison 5』と『Kitsune Maison 6』にもフィーチャーされた。シングル“Although you may Laugh”はBBC Radio 1のKissy Selloutによって「ベスト・トラック・オブ・ザ・イヤー」にも選出され、ダーグラウンドにおける信頼を維持し続けながらも、ポップ・フィールドへと進出しはじめる。

2009年、デヴィッドは自らのレーベル、Oblioを立ち上げた。毎月、4曲入りのEPをリリースしていく(アルバムにも収録のハウス色の強い4つ打ち曲「Pater One」からはじまって、現在は第四弾まで進行中)というプロジェクトと並行して、遂にアルバムのリリースへと、踏み出した。

また、Ministry of Soundのラジオ・ショウでもウィークリーでDJを披露(毎週木曜PM7~PM8)、最新のエレクトロからインディ/ダンス、クラシックスまで、様々なスタイルの楽曲をミックスしている。

Releases

Participated works