INCOGNITO インコグニート

インコグニート(INCOGNITO)のオフィシャルサイト http://www.incognito.org.uk/

インコグニート(INCOGNITO)のmyspace http://www.myspace.com/bluey_incognito

INCOGNITO(インコグニート)

UKアシッド・ジャズ・ムーヴメントの顔役としてブラン・ニュー・ヘヴィーズと共に活躍した、“ブルーイ”ことジャン・ポール・モーニック率いるインコグニート。90年代を通して、ジャイルズ・ピーターソンが主宰した名門レーベル「トーキンラウド」から『ポジティヴィティ』や『ワン・ハンドレッド・アンド・ライジング』などのヒット・アルバムをコンスタントにリリースし、日本のみならず世界的にも人気を博す。2000年代に入ってからもその活動は衰えを知らず、ここ10年で6枚(キャリア通算13枚)の作品を発表、毎回高い評価を獲得してきた。2010年に結成30年を記念するメモリアル・アルバム『トランスアトランティック・RPM』を発表。



TRANSATLANTIC R.P.M.

10代を1970年代のロンドンで過ごした者にとっては、音楽は避けられないものだった。それはどこを向いても存在した。どのパブに行ってもライヴ・ミュージックをやっていたし、大きい通りには大体何軒かのレコード屋があった。地下室やガレージは多種多様なミュージシャンやエネルギッシュなティーンエイジャーのリハーサル場所となり、そこでロックンロール、レゲエ、スカ、フォーク、ジャズ、ファンク、ソウル、と様々な音楽が繰り広げられたのだ――誰もが世界をのっとろうという勢いで!どのレコード屋でも、ざわめきは絶えなかった。アメリカを渡ってきた最新の音楽を掘り出そうと、みんな必死にクレートを漁ったものだ。私は特定の名前を探した――ハーヴィー・メイソン、スティーヴ・ガッド、ラルフ・マクドナルド――”ルーファス&チャカ・カーンの新作聴いたかい?”なんて言いながら。レコード屋の別のコーナーではファンキーな奴らがBTエクスプレスやエディー・ラスを、爆発するようなアフロに巨大なヘッドフォンをかけて聴きながら、ブギー・ダウンしていた。パッチ入りのジーンズをはいた長髪の学生はプログレのコーナーでレコードを探し・・・。それが当時の光景で、私はその虜になった。大西洋を渡ってきたこれらレコードは、私を病みつきにし、まるでハイになるチャンスを捜し求めるジャンキーのようだった!私はアメリカ行きの飛行機に乗り、スタジオに入っていき、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、チャカ・カーン、スティーヴィー・ワンダー、それにリオン・ウェアなんかとレコーディングすることを想像しては夢を見た。このアルバムに関して言えば、5 歳の時にモーリシャスのビーチで音楽こそが運命だと悟った、トッテナム出身のこの島民にとって、4人中3人との夢が叶ったことは、大そうなことだと思う。


一歩下がって、自分をつねってみよう!


先送りして時は 2010年。私のバンド、インコグニートは今年で31歳で、私はジャム&ルイスで有名なフライト・タイム・スタジオにいる。私は、チャ カ・カーンと曲作りとレコーディングをし、アル・マッケイ(アース・ウィンド・アンド・ファイアーの絶頂期のギタリスト)とコラボレートするためにここへやって来た。チャカは「Lowdown」では圧倒するようなパフォーマンスを見せ、時折部屋に入ってくる友達 に、”彼が英語をしゃべらないなんて信じられる?”(数日前にローマで録音された、デュエットの相方を務めるマリオ・ビオ ンディの素晴らしい歌声についてのコメント)と言い、皆を笑わせていた。ボズ・スキャッグズのクラシックをカヴァーしようと思い立ったとき、私の頭に一番に浮かんだのはマリオの豊かでエモーショナルな歌声だった。そしてまた、私は光栄にも、チャカと「The Song」を一緒に書くことが出来た・・・まるでシュールな体験だったと言って当然だろう。タイムスリップし、まるで自分がルーファスのメンバーにでもなったような気分だった。更には私の大先輩でもあるアリフ・マーディンやクインシー・ジョーンズが過去に座ったであろう、プロデューサーの席に座ることができ、この上ない気持ちであった。歌詞が定まると、チャカはワン・テイクで次から次へと決めていき、それを見ているのはスリリングと言う他ない!翌日はアルがスタジオに立ち寄り、彼の愛用する赤いギブソン335を取り出し弾き始めたときは、私はもう耳から耳へと笑みを浮かべていた。私がロンドンで先に録音していたリズム・ギターにアルのギター・ラインが絡み合う――私は雲の上を歩くような心境だった。嬉しくて、”もう一度アルのソロをプレイ・バックしてくれよ、モー!”と私はレコーディング・エンジニアのモーに声をかけた――鳥肌ものとはこういうことだ!チャカが、”覚えている?その昔、私が歌い、あなたは弾き・・・”と歌い、アルが彼女の声と戯れるようにギターを弾く・・・そう、鳥肌そのものだった!
 

奇々怪々な・・・(Freaky Deaky)

” マーヴィンと初めて会ったとき、僕らはただ互いを見てにっこりと笑い、何も言葉を発さず、ただ視線を交わしていた・・・キチガイは、一 瞬にしてキチガイを認識できるんだ!”――こうして私は、話を聞き、笑いながら、伝説の人とヴァイブしていたのだ。マリーナ・デル・レイにある自宅/スタジオにシンガー・ソングライターのリオン・ウェアを訪ねると、彼は大きな抱擁で私を迎えてくれた。リ オンは大のガジェット好きで、嬉しそうに最新のガジェットを私に見せてくれる――それはiPadで、彼の大のお気に入りなのだ!”今 日は私に何を持ってきてくれたの?”と彼は、いたずらっぽい少年のような笑みを浮かべて私に聞く。私は緊張しながら「Line in the Sand」をかける・・・すると彼は、私のほうに寄ってきて、気に入った、と言い、私は一気に安堵と嬉しさでいっぱいになる。” もし君さえ良ければ、いくつか変えたいところがあるんだけど・・・”と彼は言う。私が、”勿論、何を変えたってかまいませんよ”と答えると、彼はまた私に顔を近づけ、”歌詞の言葉少し変えたいんだ・・・もっと私のスタイルと合うようにね”と私の耳に囁き、更に私に近寄ると、”私は花に歌うのが好きなんだ”と言う。ただ、実際には”花”という言葉は使わなかったけれど・・・。彼の冗談の後にはいつも大きな笑い声が続いた。そう、それがリオンなのだ、奇々怪々な・・・!彼の歌声は、1972年に発表されたデビューアルバムに収録された「The Spirit Never Dies」と変わらぬほどソウルフルでありセンシュアルなのだ。

 
ライムと理由

カリフォルニアの日差しが私をメロウにしようとするが、ここ数日間の目まぐるしいセッションで私は有頂天になり、またもや波の頂点に乗りながらラッキー・アイ・アムのカスケードするようなライムの合間をフリーフォールするのだ・・・彼の頭脳は剃刀のように鋭く、彼のフローはストリート・ハッスルそのものなのだ・・・。トニー・モムレルはシャーデーと一緒にジェイ・レノに出演している・・・パラマウントに行ってレイ・パーカーの昔のスタジオでコーラスの部分を録音しようよ・・・そして私たちはシルバー・レイクへと向かうのだ。こんな日曜日は初めてだ! モー(私の相棒であり、エンジニアであり、副操縦士)と私は太陽降り注ぐ道に駐車されたレンタカーへ向って歩きながら、 バーバンク/ノース・ハリウッドまでのドライブは気持ちが良さそうだね、途中で何か食べようか、なんて話をする。晴れ着を着たメキシコ人の家族が沢山の食べ物を持って道を渡る、まるでパーティーにでも向っているように。その中の小さな子供が私に笑いかける――まるで私と同じことを考えてでもいるようだ――”今日は良い日だ!”と。
 

私の妻が言うことには・・・

私は必死に トーチャード・ソウルのクリスチャン・ユーリックと連絡をつけようとしていた。一曲送って、一緒にコラボレートができればという願いから。しかし、それは不成功に終わっていた。カルガリー(カナダ)経由でロスアンジェルス行きの便に乗ろうとヒースロー空港に向う準備をしていると、神経質になっている私を見かねた妻が、”リラックスしなさい、この体験にもっとオープンになれば、きっと全て上手くいくわ”、と言ってくれた。それで、カルガリーに着き、ロスアンジェルス便の出発時間までの3時間余りを潰そうと、妻とス カイプでチャットしていると、誰かが私を呼んでいる声が聞こえるではないか――”ブルーイ、君はここで何をやってるんだい?”。そ してそこに彼がいたのだ・・・クリスチャン・ユーリック!”俺は今L.A.に住んでいて、帰るところなんだ。君はどこへ向かってるの?”と彼は聞いてきた。それで私は答えたのだ、”L.A.だよ、君と一曲レコーディングするためにね!”。これってセレンディピティだよね!数日後、私とモーは、朝ごはんのブリトーを食べながら、彼の車を追いながら彼のスタジオに向かい、彼 がやってくれると期待していた素晴らしいことの数々をこの曲に施してくれた。彼は歌う、”ベイビー、口づけして、また恋に落ちよう よ”――そして彼のトレードマークとも言えるファルセットに入るのだ。彼は超才能があるし、全てが上手く行っている。

 
スポークン・メロディー

フィラデルフィアを代表するメロディック・スポークン・ワード・アーティストのアースラ・ラッカーとのコラボ、「Gotta」は、また違う手法での”トランスアトランティック”(大西洋横断)なコネクションだった。全てはウェブ上で行われた・・・私たちはまだ一度も会ったことがないんだ、でも最初の電話で、お互いの心を分かち合ってると確信した。私たちは無駄話は全て省いた――これこそがアーティスト同士が創造的に、また精神的にコネクトすることを妨げる最大の要因なのだ。アースラの貢献は私たち(インコグニート)が今まで辿ったことのない新しい領域に連れて行ってくれた、そして私たちはそれを大いに気に入っているのだ!


ホーム・クッキング

それは全て一年前、ロンドンのボヘミアンなオックストン・スクエアで始まった。マット・クーパーとピート・ビギン、フランシス・ヒルトン、トーマス・ダイア二、それに私が輪になりジャム・セッションを繰り広げ、一つ、また一つと曲が出来上がっていった。幾つかのレコーディングやツアー・プロジェクトなどに参加して中断されたが、その間に曲は熟し、マリネートされ、私たちは時折ブラスやヴォーカル・ハーモニーといったスパイスを足すために戻った。バンドはツアーを続け、その間私たちにはとても強い絆が生まれた。どのミュージシャンも、自己のベストを出していた。私たちは、特別なものが手のうちにあると確信しながら、自分を出し切った。私がアメリカに発ったとき、バンドの仲間意識はあまりにも確固たるもので、私とモーがアメリカにいるときも、そばにいるような気がした、今回アプローチしたアーティスト全てが、このバンド・サウンドに惹かれていた。ホームガールのメイザがまずトランスアトランティック・レボリューションを始めた。彼女は時差ボケをよそに、ロンドンのO2で行われたインコグニート30周年のギグの次の日、 ピュア・エモーショナル・ソウルと呼ぶべきパフォーマンスを披露した。ジョイ・ローズ、トニー・モムレル、そしてヴァネッサ・ヘインズもそれに続き、私の歌詞に、彼らの素晴らしいパフォーマンスで”生”を吹き込んでくれた。それ以降、私の脳裏にはなんの疑いもなかった・・・革命は既に始まっているのだ!

 
ストリートに持っていく

そしてこれこそが私たちの苦労の目的なのだ・・・みんなに音楽を届けるということ!
今のところ、インコグニートのライヴの観客が味見した 『Transatlantic R.P.M.』はバンダ・ブラック・リオのカバー曲、「Expresso Madureira」だけだが、その反応がいくらかでも新作のリアクションの測定になるのであれば、私たちはこのアルバムと共に、素晴らしい音楽の冒険と、世界を舞台にした旅が待っていると言えるだろう。

輝き続けよう。


ブルーイ

インコグニート(INCOGNITO)のリリース