ANTONY & THE JOHNSONS アントニー&ザ・ジョンソンズ

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本名アントニー・ヘガティ。1971 年、イングランド南東部に位置するサセックス地方の町チチェスターに生まれる。1977 年にはアムステルダムに、さらに10 才の頃にはカリフォルニアのサン・ホセに移住。80 年代初めに相次いで登場したカルチャー・クラブのボーイ・ジョージやソフト・セルのマーク・アーモンドといった英国のシンガーを知り、そのジェンダーを越えた中性的な魅力に強い影響を受ける。地元の大学に進学した10 代の終わり頃には、ジョン・ウォーターズの映画を元にした舞台劇を演出する。1990 年、ニューヨークに移り、NYU の実験演劇コースに入学(*1)。サンフランシスコのヒッピー文化とゲイ解放運動が結びついた異色の演劇集団、コケッツの中心メンバーのひとりだったマーティン・ウォーマンに出会う(*2)。1992 年の夏には、ジョアンナ・コンスタンティンらと共に前衛的なパフォーマンス・グループ、ブラックリップスを結成。イースト・ヴィレッジのピラミッド・シアターで毎週月曜日の夜に定期公演を行い、NY のアンダーグラウンドなクラブシーンで注目を集める(*3)。1995年にブラックリップスが解散した後は、演劇性を残しつつもより音楽に傾斜した新たなグループ、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ(*4)を率いて活動。2000 年、カレント93 のデヴィッド・チベットが運営するUK のレーベル、デュルトロより、セルフタイトルのデビュー・アルバムを発表。さらに、翌2001 年にリリースしたEP『I Fell in Love With a Dead Boy』がプロデューサーのハル・ウィルナー(*5)の目に留まり、ウィルナーを通じてルー・リードにも紹介される。2003 年、リードの世界ツアーでバッキング・ヴォーカルに抜擢され、アルバムの録音にも参加。2005 年、アメリカではシークレットリー・カナディアン、ヨーロッパではラフ・トレードより、セカンド・アルバム『アイ・アム・ア・バード・ナウ』をリリース。同作により、英国最高の音楽賞とされるマーキュリー・プライズを受賞。MOJO 誌の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」にも選出された。2009 年1 月、敬愛する日本の舞踏家、大野一雄の写真をジャケットに配したサード・アルバム『クライング・ライト』を発表。ビルボードのヨーロッパ・チャートで1 位を記録する。ビョークとルー・リードの他にも、ルーファス・ウェインライト、ブライアン・フェリー、マリアンヌ・フェイスフル、Hercules and Love Affair 、マシュー・ハーバート、ヨーコ・オノ、ローリー・アンダーソン等々、様々なアーティストとコラボレーションを行っている。

(*1)NY のアンダーグラウンドな音楽やパフォーマンス・アートのシーンを取材したドキュメンタリー映画『モンド・ニューヨーク』(1988)の中で、ビリー・ホリデイに扮してビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」を歌うドラッグ・クイーン、ジョーイ・アリアスの姿に感銘を受けた、とアントニーは後のインタビューで語っている。

(*2)コケッツは、1960 年代末、サンフランシスコのヒッピー・コミューン「カリフラワー」の一員だったハイビスカスらを中心に結成。髭をたくわえたドラッグ・クイーンというハイビスカスの強烈な外見や、自由奔放できらびやかなステージによって注目を集め、後のディスコの「女王」シルヴェスターをはじめ、ジョン・ウォーターズの映画で有名になるディヴァインやミンク・ストールも出入りしていた。ウォーマンは、エイズがNY のゲイ・コミュニティで猛威を振るっていた87 年頃に元メンバーたちを取材し、コケッツの歴史を記述していたが、道半ばにして自身もエイズに倒れ、93 年に死去。だが、NYU に提出される予定だったその未完の博士論文は、デヴィッド・ワイスマンとビル・ウェバーによるドキュメンタリー映画『ザ・コケッツ』(2002)の重要な典拠となった。

(*3)「Cripple and Starfish」「Blue Angel」「Hitler in My Heart」といった曲はすでにこの頃からブラックリップスの舞台で披露していた。

(*4)NY の伝説的なドラッグ・クイーンにしてトランスジェンダーの活動家だったマーシャ・P・ジョンソン(1945-1992)の名前に由来している。

(*5)80 年代初頭から長年にわたって米NBC の人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」の音楽監修を務めるかたわら、ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガス、クルト・ヴァイルらへの斬新なトリビュート・アルバムを次々に企画・プロデュース。さらにジェフ・バックリーやレナード・コーエンらへのトリビュート・コンサート(後者にはアントニーも参加)もプロデュースしている。さらに、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの監督ゴア・ヴァービンスキーと主演のジョニー・デップの構想(「海賊や船乗りにまつわる伝承歌」を集めるというもの)にウィルナーが肉付けした野心的なコンピレーション『Rogue’s Gallery』(2006)では、アントニーとブライアン・フェリーのデュエットを聴くことができる。アントニーが参加したマリアンヌ・フェイスフルの最新作『Easy Come, Easy Go』(2008)もやはりウィルナーのプロデュース。

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